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打算-35/京都は遠い

2010年07月28日 00:50

打算-35/京都は遠い

ユェミーからタフだと褒められ、大人から言われるより喜んでしまった秀一
だが、相変わらず行動は早かった
ここシンガポールでも、1・2を争う私立の女子高に翌週からユェミーを通える様にした

孤児だと聞くと、顔は微笑んでいても入れたくないのが秀一には分かった
定員がどうのとか、年度の途中入学は例が無いとか言い続けていた
しかし最初の内こそ渋っていた女校長も、秀一の一言で微笑んだ

「今すぐは無理だが、近い将来私の養子になる」
ここでも有名な大会社ナンバー2の肩書きが物を言う
問題を起こす筈が無い・・・特に経済的には


通い出して半年は成績が悪かったが、秀一は自分の子以上に教えた
その成果が有ったのか、すんなりと2年に昇級テストクリア出来た
しかし、本来の歳なら3年になっている
夏休みはそれこそ猛特訓をした
遠い昔、大学の3年間に家庭教師をしていた事が役立った
2年の春、飛び級をして3年に上がれた

そして一年後、TOEFL580で大学受験
秀一もここまでは予想していなかった
秀一よりも成績が良いのだ
国立大学法学部に3番目の成績で合格する
この大学、アジアでは東大京大の次にランクされている素晴らしい大学だった

発表後の台詞がこれまた決まっていた
「わたしより2人も成績のいい人が居た」
「必ず1番で卒業します・・・・・貴方、ご免なさい」

IQは170で秀一より10ポイントも高い
「私だって馬鹿じゃないぞ」
そうは思っても到底勝てないのが秀一には解っていた
「17歳の時、既に交渉で負けていたものなー」
有言実行を地でいき、本当に多くの秀才を撥ね退け主席卒業する
そして、日本で言う司法試験を在学中に受かってもいた

元々頭が良かった事は間違いないが、ユェミーは秀一に褒めて貰いたい、一緒にずっと居たい
只それだけで、死に物狂いで勉強をした
そして、色んなことを覚えるのが好きだった


秀一がシンガポールに赴任して丁度5年が過ぎた年の初め、本社から辞令が届く
「2010年4月1日をもって、中田秀一を大阪社長に命ずる」
常務取締役西日本事業本部長になってしまった
日本の西半分のトップで、秀一51歳の春だった

約100人の幹部を抜いての抜擢で、社内の順列は12000名中の6位
社長大野が同じ日に昇格していた
大野の引きが有ったのは言うまでもなく、雅恵も会長に勧めた筈だった


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ブログの方にも来て下さい
http://kyoka2.blog18.fc2.com/blog-entry-1.html
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このウラログへのコメント

  • ななみ 2010年07月28日 01:18

    京介さん遅い時間まで体調大丈夫ですか?今後のログも楽しみにしてます

  • 京介 2010年07月29日 01:06

    ななみさん、私の仕事は輸入業で、時差の関係があり寝るのは2時か3時です
    それをもう20年以上続けています
    4・5時間寝れば平気なんです
    馬鹿で鈍感ですから

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