- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- おまんこは神の秘術
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出会い系の女24
2013年04月26日 17:22
あなた、トラウマって知らないでしょ
そんなことが書いてあった。
返すのもメンドオーだったので、そのままにしておいた。
また、きた
あなたみたいにぶっきらぼーに、言うのは、すごく傷つけるのよ
ナカナカ気の強い女のようだ。
別に、ぶっきらぼーに言ったんじゃなく、テキトーに言っただけだ。
それがこの女の、癇に障ったらしい。
ワタシ、あなたのコトバ、
ヒロインになってるんじゃないか、
って、すごく傷ついたノ
ますます、絡んでくる。
どうにも、矛が収まりそうもない。
しょうがないから、
わかった、そのあなたのトラウマとやらを、話して欲しい、
メルアドを付けて、サイトメールに流した。
わかったわ、
じゃあ、ワタシのトラウマ、あなたに目にもの見せてやるわ、
男は笑ってしまった、
自分のトラウマで、ヒトに目にもの見せてやる、そんな言い方するヤツ、
この世界にどこにいる、んだ、と思ってしまった。
ま、この女の強力なトラウマではあるらしい。
しかし、この女はカンチガイしている。
トラウマって、ヒトに話すことができないほどクルシイから、トラウマなのだ。
トラウマを話すことは、自分の体を切り刻んでいることだから、切り刻むなんて誰にもできない、
結果、誰にも話せない。
これはDVと同じだ。
親に庇護されるべき幼い子供が、その当の親に暴力を受ける、幼い子にとっては地獄以上の苦しみになる。
幼い子供にとって、親とは自分であるからだ。
つまり、DVとは、言い換えれば、自分から暴力を受けるという、
スゴイ根源的な問題だ。
他者から受ける暴力は解決のしようがある。なぜなら、切り離せばイイ。
しかし、誰でも自分を切り離せない。
そして、これが一番大事なことだが、
幼い子供にとって他者はまだ存在しないのだ。
他者、わかりにくいが、世界といってもイイ、
この世界がまだ存在しないのだ。
他者とか世界とかは、自我があって初めて存在できる。
自我に対峙しているのが他者であり、世界であるからだ。
つまり、自我が未分明で成長しない間は、世界はない。
自我が未分明であるとは、親と子は一体である。
子が親から暴力を受けるとは、自分自身を殴ると同じことだ。
幼い子供は決して親の暴力はしゃべらないだろう、
なぜなら、親とは自分なのだから。
反対に、親子一体とはこれほど気持ちイイことはない。
母親の胎内のお袋にいる状態の気持ちよさだ。蜜月。
男と女がセックスしてイキまくって、抱き合って密着している瞬間は、
同じく、胎内のアノ心地よさである。
うんだから、すべての快楽は胎内のあの気持ちよさに回帰する。
幸福ということだ。
トラウマとは、この気持ちよさが、なにかの事情で引き裂かれることで発生する。
トラウマの女には、どんなトラウマか知らないが、発生したのだろう。
しかし、それが辛いひどかったと、コトバにできるくらいだから、
大方、解決しているはずだ。
現在進行形のトラウマなら、そんなことは話せない。
苦悶の真っ最中にいる。
タダただ、涙を流すほかない、涙だけが話し相手だ、
それでも、涙が出ればめっけものだ、涙が出れば、出口がある証拠だ。
涙も出ない、感情が押しつぶされて、感情の表現が不能になる。
あまりの辛さ悲しさで感情の処理が追いつかなくなる。
スマホの通信料があまりにも大量で、ドコモやauのサーバーがパンクする、
これと同じような状態になる。
こういう幼い子供が成長して大人になる、
どういう大人になるかといえば、殺人鬼になる。
イラクやアフガン、パレスチナはみんな、幼い子供のときに、
親や親族が虐殺されている。
あまりの悲しさで感情は押しつぶされてしまった。
DVはトラウマの元兇だ。
しかし、わが子に暴力をふるう親はいない。
幼いときに暴力を親から受けた子供が親になったとき、
無意識に、同じことを繰り返す。
なぜなら、親と子は一体だからだ。
これが、男と女がセックスを通して一体となったとき、
小さいとき親から暴力を受けた男は女に暴力をふるう。
DVだ。
成人した女は自我があるから、逃げることができる。
しかし、幼い子供は逃げることができない。
トラウマの女は苦しさを言ってるのだろう。
苦しさは、受けた当人しかわからない、これを他者と分かち合うとはムリである。
理解はできるが、
理解と苦しさそのものとは違う。
トラウマの女にとっても苦しさは過去であって、現在進行形ではないはずだ。
戦争でクルシイ目に遭ってきた、しかし、これは当事者しかわからない。
だから、誰も戦争を話さないし話せない。
人肉を食ったことは話せない、
しかし、好きで人肉を食ったのでない。
イノチが鬼を強要した。
ワタシの苦しみ、といえるのは、も、解決している証拠だ。
トラウマの女が、ワタシの苦しみも知りもしないで、というのはしょうがない。
その裏に、あなたは苦しみなんて知らないでしょ、という気持ちがある。
しかし、トラウマは、この男のせいでない。
男にはトラウマは理解できるが、現在進行形で一緒に味わったわけでないから、
女の言う意味では、苦しさはわからない。
わからないのはこの男だけでない、この女以外はぜんぶわからない。
もっといえば、毎日一緒にいる夫や子供だって、女の苦しさはわからないはずだ。
なぜなら現在進行形で一緒にいなかったから。
しかし、夫や子供でも、男と同じように理解はできる。
トラウマの女は理解と苦しさを混同している。
虐められるネコやイヌの苦しさはこの女にもわからない、
理解はできるがわからないのはこの男と同じだ。
トラウマの女だって、他人の苦しさも理解できても、
現在進行形で一緒にいないかぎり、その苦しさはわからない。
誰でも、苦しさを味わったモノは、どうぢても手前味噌になる。
日本だけが原爆を被った、この苦しさはどこの国もわからない。
みると、お昼が過ぎ1時頃になっていたので、男は近くの食堂に出かけた。
男は、女房は3年前に亡くなったし、子はいない。
一日中、家の中にいることもできる、しかしそれでは、会社にいたときとは違って、
ヒトに触れる機会がなくなる。
ヒトに触れなくなれば当然、刺激がなくなる、刺激がなくなれば活力が衰える。
そうならないように、できるだけ外に出るように心がけている。
図書館もそうだし、食事もそうだ。
別にしゃべらなくてもイイ、人を見ているだけでも違う。
そういうムダなことは、生きる上ですごく大事なことだ、
幸い、男は五体健全で、歩ける。
いつまでも元気であるとはかぎらないから、この元気なうちに、
女を知りたい、女とやりたい、
フツフツ湧き上がる感情だ。
今のうちに女を抱いておかなければ、女とやりまくっておかなければ、
図書館で会った先輩と同じように、体力気力がなくなってしまう。
話題が病気ばかりとはサビシイ。
病名をあげつらったところで、寿命のローソクはどんどん、燃えていく。
暁光にも、この男には二人の女の親友がこの3週間のうちにできた、
ラッキーといってよい。
いや、ラッキーではない、男が自ら、固い決意をもって足を踏みだしたからだ。
神様のご褒美だろう。
食後に公園を散歩した。
3時頃、家に戻ると、
トラウマの女から、さっき教えておいたフリメールにメールが来ていた。
ずいぶん長いメールだ。
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