夢を抱いて-38／もう来るな

「店が終わったら、寿司でも食べに行かない？」
以前から言い寄っている安部が、今夜は特にしつこくて困っていた
ひなたがここに来る前からの常連なのに、何故かひなたの客という事になってしまっている
「子供を迎えに行かなくてはいけないの、知っているくせに」
「子供さんも一緒でいいよ」
「直ぐに寝かせないと駄目なの」
「だったら日曜は？」
「託児所がお休み」

「親に預かって貰うと言うのは？」
「群馬の田舎よ」
「じゃ、そこまで車で行ってドライブと言うのは？」
母親の顔がちらっと浮かんで直ぐに消えた
「そんな事は出来ません」
「これだけ毎日通っているのに、一度の食事も付き合ってくれないんだ」


私は来て欲しいなんて一度も言ってもいないし、思ってもいないわよ
「この馬鹿、間抜け、助平おやじ。もう来るな」
そう言えたら気分が良いだろうなー
そう考えている所に紫野が入って来た
一つ離れたテーブルに居た陽子ママが「ひなちゃんお願い」と助けてくれた
あー助かった
「安部さんご免なさいね。席を変わらないと」
言い終わらない内に、ひなたはもう立っている

「いらっしゃい、紫野さん。こちらの席に」
空いている内で一番安部から離れている席に案内する


「歌が唄えるようになったね」
「紫野さんのお陰」
「そんな事は無いよ。毎日唄っていれば上手くなるから」
「他のお店に連れて行って貰えませんか。私、少し勉強したいんです」
「ああ、いいよ。でも子供さんは？」

真央に以前から頼んで了解を得ていた
「ここの休みの日は、他の店も休みだよ」

ひなたは「食事に誘って」と言ったこの前、さらっと断われたのに今回はどうしてなのか分からなかった
「今度の月曜でいいですか？」
「８時に駅前のドトールにしようか？」
別に付き合って欲しいとか、抱いて欲しい訳ではなかった
セックスは、月に何度か来てくれる佐藤だけでよかった
ただ寂しくて、たまにデートがしたかった


ひなたは考えに考えた
「断わられない方法って、ある？」
そうして考えたのが「他の店に行って、私と何が違うか見てみた」と言うものだった

その夜、ひなたは今持っている一番の大人しいグレーのスーツにした
決して高価なものとは言えないが、子供が生まれる前に買ったお気に入りのスーツだった


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