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貧しい人びとの健康を守るために
2015年11月19日 00:01
~貧しい人びとの健康を守るために~
私が感動した話を紹介します。
ある一人の医師の物語です。
1976年、一人の日本人医師がネパールの小さな町外れの病院へ、ボランティアとして働くためにやってきました。
彼は、3ヶ月間病院内ただ一人の外科医として、早朝から深夜まで次々とおとずれる人々のために手術室を離れることができませんでした。
そんなある日、26歳の女性が家族と一緒に、二日間かけて病院までやって来ました。
膝には腫瘍があり、ひと目で非常に進行した皮膚ガンだと分かりました
検査の結果、骨までガンが達していることが分かり、「すぐにあなたの右脚を切断しなければならない。そうしなければあなたの命までも失うことになってしまいます」と告げました。
ところが、彼女は少し考えて「切らないでください」と言ったのです。
そして続けてこう言いました。
「私が死ぬのは悲しいことです。
しかし私が死ねば、私の夫は次の妻をもらうことができます。
そしてその健康な新しい妻は私の子どもたちの世話をし、を助けて働くことができます。
でも、私が脚を切って何もすることができなくなったら、貧しい我が家は全滅するかもしれません。
私にはそんなことはできません」
自分の命よりも家族を大切に思う彼女のこの言葉に、彼は大きな衝撃を覚えました。
そして彼女との出会いが、彼の人生を大きく変えました。
日本に戻った彼、川原啓美は、アジアの村の中で人びとが自分たちで、健康を保つことができるように保健や生活を村の人と一緒になって改善していく人を増やしていくことが大切だと考えました。
そして、アジアの人びとの健康の増進を目的とするアジア保健研修所(AHI)を1980年に設立しました。
アジア保健研修所(AHI)は住民主体の保健活動を起こし、支えていく保健ワーカーを育成しています。
アジアの人たち自らが「生活をよくしたい」「健康で暮らしたい」と思い、協力して持てるものを分かち合いながら、生活を変えようと動き出すことを目指し、保健ワーカーたちは様々な活動を行っています。
以上、アジア保健研修所 HPより転載
これは、愛知県日進市にある国際協力NGO「AHIアジア保健研修所」創始者、川原啓美医師の物語です。
ネパールの26歳の女性の言葉(覚悟)に私も感動しました。
「私が死ねば・・・健康な新しい妻は私の子どもたちの世話をし、夫を助けて働くことができます」
貧しさ故に十分な医療が受けられない人が、家族を思って自分の命を犠牲にする愛の強さ、深さにです。
当の川原医師は、ただ衝撃を受けるだけでなく、真剣に考えました。
「自分がこのような貧しい人たちにために何ができるのか」
そして、祈ったのです。
「神は残された人生において、私に何をしろと命じておられるのか」
川原医師の出した答えは、安泰であった院長の職を辞して、まったく別の研修所と病院をつくろうというものでした。
「多くの貧しい人たちの健康を守ろう!」
その思いをすぐに行動に移しました。
多くの人の支援を受けて、苦労の末、アジア保健研修所(AHI)を1980年に設立。
現在、AHIは、アジア各国の貧しい人々の生活を支える様々な活動を行なっています。
★きっとよくなるヒント★
一人の強い思いから大きな活動が生まれる。
このデジログへのコメント
夢中さん:私もさらに小さいです。もっと大きな人になりたい。
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