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第13章:黒い湯面

2026年03月02日 02:28

第13章:黒い湯面

深夜二時を回っても、みおは眠れなかった。
暗い天井を見つめ、何度も寝返りを打つ。シーツの擦れる音さえ耳障りで、やがて諦めたように起き上がった。

廊下は刺すように冷えていた。

古い木造の宿は、呼吸を止めたように静まり返っている。
吸い寄せられるように、再び浴室へ向かった。

夜の湯は、昼間とは別の顔をしていた。
湯面は重く、黒く光り、天井の裸電球が心細げに揺れている。

みおが静かに足を入れたとき、水面の向こう側に、わずかな波紋が広がった。

人影があった。

ゆうだった。

互いに、何も言わない。
昼間に感じたあの刺すような動揺も、夕食時の喉を塞ぐような重苦しさもない。

ただ、この深い闇の中で、同じ熱に身を浸しているという事実だけがあった。

みおは、ゆっくりと、わずかに距離を詰めた。

手を伸ばせば届く距離。
けれど、触れない。

銀山でのあの一ミリの距離を、今度は自分から埋めようとして、けれど最後の一線で指を止める。
​触れないまま、そこにいる。

肌にまとわりつく湯の温度よりも、すぐそばにある彼の存在のほうが、ずっと確かだった。

みおの肩から、ゆっくりと力が抜けていく。

ここには日常も、不実を裁く世間の目もない。ただ、黒い湯面を揺らす二人の鼓動があるだけだった。

「……みお」

不意に、ゆうがその名を呼んだ。
それは呼びかけるというより、自分自身の内側に溢れる何かを、確認するように零れ落ちた言葉だった。

その一音が、触れずに守っていた均衡に、細いひびを入れた。
ゆうが、わずかに体勢を変えた。
湯が、揺れた。

その揺れが、わずかな時間差でみおの身体を包む。
それだけで、十分だった。

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