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- プロフィール見てくれて、ありがとう。 セカンドパートナーを探してます。 好奇心も性欲...
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第18章:共振の予兆
2026年03月07日 20:38
ベルリン本社の会議室。
窓の外には寒々しい曇り空が広がり、机の上には新製品に関する分厚い資料が山積みになっていた。
翻訳は急ぎだ。外注に回すか、あるいは社内で完結させるか。
上司であるゆうの判断を待つ沈黙の中で、一瞬だけ、ある名前が脳裏を激しくよぎる。
(……みおさんなら、このニュアンスを汲み取ってくれる)
指先が、無意識に彼女の連絡先を検索しようとして止まる。彼は何も言わなかった。
「国内チームで振り分けてくれ。スケジュールは厳守だ」
淡々と、感情を排した声で部下に指示を出す。それが、彼にできる精一杯の理性的(ロジカル)な拒絶だった。
数時間後。
ベルリンからの指示を受けた東京の担当者から、一斉送信の依頼メールが、みおの受信箱に届いた。
メールの末尾には、事務的な一文が添えられていた。
『なお、用語の定義や詳細の詰めについては、現在ベルリン滞在中のプロジェクト責任者・ゆう氏と直接コンタクトを取って進めてください。』
(……直接)
その文字が、網膜に焼き付いて離れない。
送信者は別の人。形式はただの業務連絡。けれど、その一文が持つ重力は、みおの日常を容易に歪ませた。
断ることも、もちろんできた。「他の案件で手がいっぱいだ」と一行返せば済む話だ。そうすれば、あの福島の温泉で交わした熱は、美しい思い出のまま冷凍保存される。
だが、この仕事を引き受けるということは、彼がベルリンの空の下で紡いだ思考の断片を、自分の言葉でなぞり直すということ。そして何より、彼と「一対一」で向き合うことを意味していた。
キーボードの上に置いたみおの指先が、微かに震える。
それは、あの黒い湯面で感じた、逃げ場を失った呼吸の乱れによく似ていた。
みおは、震える指を制御しながら返信ボタンをクリックした。
「承知いたしました。詳細については、ゆう様へ直接ご連絡差し上げます」
事務的な文面の裏側で、二人の波長が再び、激しく共鳴を始めていた。
それから数時間後。ベルリンの昼下がり、ゆうの端末に一通の通知が届いた。
画面に表示された「みお」という三文字の名前。彼は一瞬、呼吸を止めた。
周囲に部下たちがいる手前、彼は表情一つ変えず、ごく自然な動作でメールを開く。
件名:新製品資料翻訳の件(ご確認)
ゆう様
いつもお世話になります。みおです。
資料拝受し、確認いたしました。
第3章および第5章の技術用語について、いくつか確認事項がございます。
本日中に整理のうえ、改めてご連絡差し上げます。
みお
「……第3章と、5章か」
ゆうは小さく呟いた。
そこは、今回の資料の中でも最も論理が入り組み、正確な「翻訳」が困難な箇所だ。
彼はすぐに返信を打ち込んだ。一文字一文字、感情を削ぎ落とすように。
Re: 新製品資料翻訳の件(ご確認)
みお様
いつもお世話になっております。ゆうです。
ご対応ありがとうございます。
添付資料をご確認ください。
用語統一については、別紙の定義表に準拠願います。
不明点があれば、本メールにてご連絡ください。
ゆう
送信ボタンを押した指先に、かすかな痺れが残る。
「いつもお世話になっております」
「ご対応ありがとうございます」
どこにでもある、ありふれたビジネスメールの定型句。
だが、その白茶けた文字列の行間には、ベルリンと東京という一万キロの距離を飛び越え、あの福島の夜の「逃げ場を失った呼吸」が、静かに、しかし激しく震えながら潜んでいた。
二人は冷徹な業務の仮面を被りながら、その往復の中で、誰にも悟られない何かを、静かに動き始めていた。




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