- 名前
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- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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窓からの眺め
2007年03月26日 07:12
まだ冷たい風が吹くものの正式にはもう春になったんだからこんないい陽気に屋根裏の暗い部屋に閉じこもってゴソゴソやってないで、空気の入れ替えしたら、と窓のブラインドを家人に開けられた。
昨夜未明の二時に時計の針を一時間進ませて夏時間にしたことから睡眠時間が一時間少なくなったはずなのに春眠暁を覚えずと理由を付けた、暁前に寝床に入った者にはきっちり体内に納まった生物時計に従ったのだろうか、惰眠を貪り参加するはずだった射撃競技会の射撃時間にはとっくに遅れたころに寝足りた目が麗の光の中で覚めた。
その後いつものブランチを摂りながら新聞、ラジオで今日の出来事を見聞きしているとどうも今日は歴史的な事項が幾つかあったようだ。
第二次世界大戦のくすぶりもまだ残る1957年にヨーロッパ統合の基礎となるローマ条約が調印されて50年なのだそうだ。 当時ベルギーの城でその原案を検討中の様子をまだ存命の各国関係者の証言をBBCのワールドサービスが番組にしたものをインターネットのライブラジオで聞きながらポカポカとする午後の日差しを浴て過ごした。 戦後だれも統合など信じるもののない中で各国の事情と思惑をまとめるのは容易ではなく、その中で老獪な政治家に混じって若い外交官、事務官だった人たちが苦労折衝するさまを聞くのは彼らが意識、無意識のうちに歴史に参加したことを今ここで見るようで興味が惹かれた。 今はEU参加国が20以上まで膨れ今日ベルリンに集まった大統領、首相の中で唯一女性のドイツ首相が09年には新たなるEU憲法を制定したいと述べたらしい。 来年にはフランスにも女性の大統領が登場して現在オランダと並んで二国だけ現在の憲法に批准しない態度を保つのだろうか、興味のあるところだ。
一方、ヨーロッパ統合に半身で参加している英国では議会を通過して奴隷廃止の法案が立てられて200年になるのだそうだ。 テレビのレポートではこれを記念すべきイギリスの港町の市当局者がなにも謝罪することはない、と言っていたことである。 アメリカでは奴隷制度廃止とその後遺症が治まるまでその後何年待たなければならなかったのだろうか。 南北戦争は奴隷廃止が大きな原因となっていたのだから1865年の終戦後、建前ではこの制度が廃止されたことになるのだがその100年後には公民権運動の嵐が起こったのだから実質的な差別に対する作用でありその後も今に至るも後遺症はさまざまな社会問題として続いている。 存在するものを差別、区別と言葉の綾で言いくるめるポリティカルコレクトはまともなものなら誰もが知る事実である。 それに、世界に冠たる悪名高いオランダ語、アパルハイトが南アフリカで撤廃されたのはついこの間の1994年だったのだ。
他国の国益のため自国から無理やり移動させられ、他人の利益のために労働の道具にされ、虐げられ差別されてきた人々の「無理やりさせられた」記憶とそれを歴史として引き継ぐ国家がどう捉えるか、どのような償い方があるのかもライブで英国の著名な歴史家も含めた各国からの参加者によって話し合われるディスカッションもあったのだが、その中で納得のいかなかったのは現在の世代には何の関係もないから償う必要がない、という意見だった。 償いの形がキーポイントだろう。 実際、カリブ諸国の元首の発言で政府援助にからめた露骨な補償を求める声があったのだがそこには苦しい政治の現実が見え隠れしている。
何も関係がない、というのは想像力の乏しい人のいうことである。 能うるかぎりの想像力を動員して自分が当時の空間に居り理不尽に狩られ、動物として扱われることをシミュレーションしてみるがいい。 そして今その歴史の末端にいる自己を確認し、まわりに200年経ってその負の痕跡があるかどうかを考えてみると単純に自分に関係がないといえるかどうか。
それを考えていて並行的に思いが至るのは先日もまたオランダで噴出した日本帝国軍隊の従軍慰安婦問題である。 アメリカの議会で日本政府に謝罪を迫るような法案が上程されているのだそうだ。 それに参考人として委員会に登場したのがその筋では知られた、もう戦後すぐから引き続いてこの60年以上生き証人として活動するオランダ女性であり、そのことに絡んで世界では右翼とみなされている日本の現首相の発言にオランダ首相が抗議をしたことに思い及ぶからでもある。 自身の祖父が戦争に深く関与し戦後はアメリカとの戦後処理のプロセスで免罪処置を受け60年代には首相でもあった人の孫であるからその意見には賛同しないものの成り行きは分からなくはなく、そのような何世代にもわたる家系の政治家を間接的にでも今選んだ国民の不幸を二重に感じるのと、オランダ首相の発言にすぐに対応できなく後手にまわる大使館にも苛立ちを隠せない。
夕食後の7時半にブラインド越しの面白くもないスナップ・ショットを撮り何やかやと明日の予定の算段をしていて思いも紛れ、今は暗いコバルトブルーになった九時の西空の立ち木の上に一番星が輝いるのが見えたのだが、そのすぐそばをスキポール空港にあと10分ほどで着陸するそろそろ車輪を出そうかという飛行機の光がかすめて行くのもはっきり見えたのだった。
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