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異文化、異性、異世代間の味の違いについて

2007年03月09日 19:12

異文化、異性、異世代間の味の違いについて

長年オランダに暮らし普通のオランダ人の家庭並に日常生活を営んでいて食生活でも半分以上はこちら風にしていると味覚が少しづつ変わっていくようだ。

関西で育ち味噌は一年分のものを自宅で作った白味噌、米は自分でも田植えをし稲刈りをも経験した精米、野菜は自家、親戚からのもので胃袋を満たしたところから学生時代関東地方のとてつもなく塩辛く繊細さに欠けると思われた経験が、寒冷なオランダに住みその気候に慣れるに従い、また、日本食が周りにないことにも不自由を感じない日ごろの雑食性からかたまに日本に帰って思うことがあった。

まず、若者がたむろするファーストフード店はいうに及ばず普通の喫茶店コーヒーの不味さというより自分の親の世代に日本でも旨いコーヒー店があったもののアメリカンという味気のないものに席巻された70年代以降の趨勢でもあるのだが、しかし、探せばそれなりの味が一杯のコーヒーとしては目の飛び出るような値段で供されるところはあり、それはこちらで日本食をもとめたときの事情と似ていそうだ。

まあ、話をコーヒーから始めるところにもう日本離れが始まっているではないかといわれるかもしれないけれどしかし自身の60年代には百姓のお茶の時間でもコーヒーが出たものだし紅茶の旨さは緑茶とともに幼少のころから経験しておりオランダ紅茶の不味さに閉口したものでもあるのであながちお茶でこの話を始めても無理とは言えないだろう。

本国内でもこれだけ人口流動があるとそれに従って味覚の変化が起こるに違いない。 自身何回も日本に帰省して不思議に思うことは味の単調さに甘さが席巻していること感じることだ。 それは逆にオランダでもこの20年ほど前に例えばチーズの塩加減が私には耐えられないほどだったことに対称されるだろうが近年減ったことと比べられるかもしれない。 もう四半世紀以上前チーズを味わった時には周りがそのままサイコロ状のものを口に入れているときには自分は飲み物か他のものと一緒でなければ口に運べなかったものが徐々に慣れていったということがある。 今ではそれにつれて脂肪分も減らされていて脂肪分については健康と味の相反関係がいわれることもまた味について問題を複雑にしている。

家庭内の味付けについては問題になることは子供のころから身に沁みて経験している。 嫁として入ってきた叔母の味付けが深く長く問題になったのは核家族になる前の家庭では普通のことだった。日常に異文化が入ってきたときの味をめぐる家庭内政治闘争とでも大げさに言おうか。 

男女間でも違うことがあるのだろう。 自分の味覚に従えば個人の間では当然それぞれ違ってくるのだろうが我が家で観察していると男と女の間には性別の違いがあるように思える。 が、好き嫌いでは親子で違う。 さまざまだ。 それをどのようにとるか、というところで慣れのメカニズムに興味が行くのだが複雑な要素がからむこの点をさらに考えるための休憩に日本からの到来もののオカキには紅茶でもコーヒーでもなく緑茶だと夜中に玉露を淹れて醤油薄味のオカキの一服とする。

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