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ミニ大掃除

2007年03月13日 14:36

ミニ大掃除

パソコンの調子がここ2ヶ月ほど悪く、日ごろのぐうたらからな性格からか掃除はしない、メンテナンスも面倒だからスパムは雑草のごとく蔓延るので仕方なく毎日刈り取ることはしているけれど、そのほかのシステムや設定のスイッチに触れるのを厭いがちで機械は面倒だとうそぶいて成り行きにまかせている、というような次第だ。 

まあ、この年でいまさらメカのことを、そういう電子機器は、、、といってみても、今の人たちには必要不可欠の家財道具らしいので皆こまめにいろいろとこまめにやっているようだが自分には扱いがはなはだ複雑で、そうならせめて掃除ぐらいはやればいいものをそれもしなく、結局、細かい埃がCPUなどを冷却するために何個かの小型の扇風機を箱の中に設置してあり換気のために空気の取り入れ、熱交換した暖かい空気を排除する網目模様の穴もあけてあるその穴に入って絡まったりしている綿埃や細かい埃が原因で換気が行き渡らず何時間かつけっぱなしにして使っていると温度が上昇しそのためにサーモスタットが作動しピーピーという警戒音が出はじめた。 それを無視していればそのままずっと鳴り止まなかったり、そのうち勝手にもう限界だと電源が切れる、ということになってしまった。 

それではいよいよ堪らなくなって夜中にごそごそと机の下にもぐりこんで絡まったつるのような各種ケーブルを外し、本体の箱をドライバーをギクシャクと回しながら何とか開け、綿埃を掃除機で吸い取りそれから細かい刷毛のようなもので入り組んだ内部の隅々まではらい、掃除機逆噴射させて届かないところの細かいものを吹き上げそれを吸い込ませケースを閉じてやっとこさ作業を終えた。

やれやれ、日ごろしない大掃除、といってもせいぜい両手で抱えられる箱の中、それもかなり詰まった空間なのだから大したことはないのだが、その技術的困難さの重圧から開放された安堵と喜びを感じて冷えたビールを飲み、流してもいないヴァーチャルな汗に心地よいと後で思えば阿呆らしくも苦味を楽しんだというわけだ。

けれどこの大掃除も結局はヴァーチャル、虚構だということが判明することになったのは2,3日経ってからまたもやピーピーが始まったからだ。 それではあの咽喉越しのビールも虚構だったのかとそれを悔やむために今度は本当の確認のためのビールを又もや流し込んで虚構にならないようによく回らない頭で考えた。 

そうだ、ファンが痛んでいるのだ、だからいくら掃除してもその衰えた能力では換気をしきれないのだろうと思ったのだが、まてよ、けれど排気口のあたりに手を当てても掃除以来あまり温度が上がっていないけれどそれでもまだ警告音が鳴るから一概には小型扇風機が悪いとはいえないとも考える。

このことを自分でもコンピューターを組み立ててITのワンマンカンパニーをやっている知人に言ったら、それは多分悪いヴィールスにかかってるのじゃないかといわれおっとり思い当たることを考えてみればそれまでネットで何やかや操作してダウンロードしていたり商売目的なあからさまな胡散臭いところを掠めたりした際に、丁度ヴィールス除けのソフトの期限が切れ、初めはフリーであったものの今になってこれからは金を払って更新しろ、というのを約束が違うじゃないかと一方的に理不尽だと都合よく腹を立て無視していたら、なぜか立ち上がりやいろいろなサイトに移動するときに今まではすんなり一瞬で行っていたものが速度ががた落ちになったり引っかかるようになったのだ。 

そういうことは大抵は再起動すれば直るのだったが今回はそれも効かない。 何年か前にそれで手ひどくやられて修復不可能にもなり、今の箱にしたのだったがあれからもう3年になる。 そのとき、その知人がこういうものは昔の耐久消費材と違い技術進歩の波に乗らねば置いてけぼりをくうから管理が悪ければ3年ぐらいが概ね寿命だろうといっていたことを思い出した。 けれど、3年前にはそのときに懲りていたから我々のような機械音痴でも何とか操作できるように今のシステムにしたのではなかったか。 それでもこの体たらくで何も進歩はないではないかと毒づきはしたものの、結局またその知人に頼んで今日見てもらった。

案の定、馬鹿なサイトに行ったこともあり診断では悪い病気を150ほど知らず知らずのうちにもらってきていたらしくそれを掃除してもらい、これだけはなんとか自分でもできるハードディスクの整理をすれば2時間はゆうにかかり、ついでに娘と家人が一緒に使うコンピュータも同じく防御システムの期限切れで速度が落ちたものだから私のと同じく別のソフトでヴィールス予防線を張ってそれまでに感染していたものにもまた2時間ほどかければ結局半日仕事となってしまった。 

この、ほぼ4時間半が終わり、知人の屋根裏部屋での作業中に四方山話をしているときに小学校幼稚園に通っているのだろう、この間見たときには二人ともオシメをしていたような兄妹がとことこと我々のところに入ってその子供たちに驚くと共にこの間の、過ぎた時間を想い、同時に自分の子供たちがこの子供たちの年頃だったころのことも思い出し今では時には憎たらしい大人になろうとしている子供たちの昔の無邪気な仕草なども友人と子供たちの仕草を眺めながら想い感慨無量にもなった。

この半日を終え自宅に戻りスパゲッティー状のケーブルをいくつも2つのコンピューターに接続し元のように立ち上げたときにけれどもどこにもやり場のないような強い腹立たしさを覚えた。 それは、これが無くても生活には差しさわりがないものの、日頃その簡便さ故に公私ともにそれに頼り、これがなければ生活のかなりの部分に差しさわりが起こるようにもなっている、その機械に対する依存性への苛立ちと、機械に不都合ができた時にはすぐに対応できない自分の無能力に対する失望感と重なり合って絡まりあって大きな暗い玉が胸の中で転がったのだ。

しかし、小さな子供たちを見ていたので怒りのバランスはなんとか保てたのだろうし当分の間はこれでなんとかやり過ごせるようにしたのだが、収支決算では無駄にばたばたと叩いて埃をあげただけだったという報告が出たというような気がする。 人間というのは他の生き物と同様、学習するものだということを聞いたことはあるけれど少しばかり学習しても同じような過ちを繰り返すものでもあるようだ。

周りでは皆が持つ携帯電話も多様な機能、操作、取り扱い、メンテナンスは簡単らしく世界中どこにでも行き渡っているらしいのだがどうも私はどうもこれを持つ気持ちにならない。 そうは言うものの必要に迫られて帰省の折には3週間ほど持たざるを得なく携帯していたがやはりこの機械への依存性を認識し、これにはコンピューターにほどは深みには嵌っていなかったこともあり、今は無いままに過ごしているのだが、それでもひたひたと迫ってくる感触があるのだ。

携帯電話コンピューターに比べるとほぼ使い捨てのような使い方をもするものらしい。 消費せよと時は言う。 はたしてその声に従うべきか。 頭の中の溜まった埃を払って大掃除をしろと声はいうのだが私はそれでもその埃の中で逡巡しながらうろうろと彷徨し時には思考停止的に蹲っている。

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