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おくりびとー2

2009年04月05日 06:10

チェロ音色が全編を覆い、物語のトーンを厳かに支配。本木はチェロの特訓に長期間苦心惨堪したらしい。むしろ納棺師の訓練よりも大変だったとか。もちろん吹き替えが主であるのは当たり前だが。演奏姿は、素人目には十分過ぎるリアリティーだった。俳優と言う仕事の過酷さと醍醐味。まさにその配役の人生を物語のままに生きることを求められている。配役の職業、技術、趣味に至るまで。それを生きること。一定期間で配役の人生の長い修練の道を追体験すると言うこと。それは本当に凄いこと。本木は、もちろん納棺師としての所作も感動的だった。これは、俳優が全身全霊で主人公の人生を追体験したことの成果の証。山崎勉も印象的。その、多分複雑で長い納棺師の人生を滲ませるようなたたずまいに敬服。大体、この作品はあまり説明的ではない。納棺師と言う職業に対しても、その物語の語る死と生の哲学についても。ちりばめられた言葉少ないエピソードの行間に、浮かび上がらせるような。可愛く健気な広末の妻。余の怪しげな事務員。親友杉本とその母親吉行との軋轢。末期がんだった死体で登場の峰岸の父の、人生の重みそのものの風貌。密やかな笑いや涙を
誘うそれぞれの挿話は、生の突然の破綻としての死の抗し難い無慈非。翻弄される生を喜劇的に。死のブラックホールを前に祈りをかけて、再び生に立ちかえる人々。その蔡祀を司ることにより、おぞましい死を始末することの汚辱から厳粛と美に昇華する納棺の儀と納棺師達。死を生き残された者達の祈りで飾る為に、納棺師達の所作はより美しく磨かれなければならないということ…
死にいく者。納棺の儀、納棺師。生き残された者達の祈り。庄内地方と言う日本に残された原風景。彩るチェロの音。父を辿り、死を司る中で、新しい生命を授かる主人公。輪廻因果応報。そして物語は。更新される生を。結末の余白に綴り続けていく…
密やかで、軽妙なユーモアは救い、物語、ひと、世界の救いか…
深く優しく、そして癒される映画。貴重な楽しい時間。監督、演者スタッフにただ感謝…

このデジログへのコメント

  • たけ 2009年04月05日 09:12

    > はなまるさん

    コメありがとう。間違いなく見るに値する映画だと思った。

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