- 名前
- ぽんぷ
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- 日々感じたこと、思ったことを書いてます。 出会い系の割には余りリアルな出逢いには拘っ...
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若い頃
2007年10月13日 23:38
先日のログの中で「当時は住む所や着る服も殆ど無く、有るのは借金だけって感じの生活でしたから」なんて事を書きましたけど・・・
自分が東京に出てきて最初に勤めていた会社は3年で辞めてしまったんですよ。本当はもっと早くに辞めたかったですけど、学校の推薦があって入社できた会社でしたから、後に続く後輩の事なども考えて最低3年は我慢したって事かな。
その出身高校のおかげも有って、会社でも多少は優遇されてましたけど、所詮高卒って事で将来が見えてしまったって事が会社を辞めようと思った一番の原因だったと思います。
大きな会社で労働組合もしっかりしていましたから、朝と帰りにタイムカードさえ押していれば給料だって貰えるし、よっぽどの悪事を働かない限りはクビになる事だって無い訳ですよ。でも・・・そのかわり自分の将来てのはハッキリしてるって事ですよね。
高卒の勤続何年は何等級で・・・将来的に多少の役職の差や賃金の差は有ったとしても、基本的にはそんなに変わりませんから、やってもやらなくても一緒って事。まぁ今はリストラ等も有りますから絶対っていうのは無いけど当時はまだ終身雇用があたり前の時代でしたからね。
会社を辞めて、自分で起業する訳ですが・・・たった1年で廃業。
残ったのは年収の2倍近い借金だけ。借金を返す当ても無く、当然アパートの家賃さえも払えない状態でしたから、半ば夜逃げのように何もかも捨てて札幌に逃げ帰ったんですよ。人生を一度リセットしてしまいたいって気持ちが多分に有ったんでしょうね。
その後札幌の実家で3ヶ月程過ごしましたけど、その間にも父親名義の車で事故を起こしてしまったりと状況は悪くなる一方でした。
このままじゃ駄目だって事で実家から家出同然で再度東京に出てくる訳ですが、その時の所持金は確か2万円くらいでしたね。飛行機に乗るにはもちろん足りませんでしたから、普通列車と青函連絡船を乗り継いで28時間近く掛けて東京に来ましたよ。持ち物だってシャツを数枚入れただけのボストンバックひとつだけでした。
友人の処に転がり込む形でとりあえず寝る所の確保は出来ましたけど、とにかく働き口を探さなきゃならない訳ですよ。
所持金も殆ど交通費で消えてしまいましたから、最初の給料が入ったら・・なんて暢気な事を言ってる場合でも無く、その給料日まで何とか食べていかなきゃならない訳ですし、着るものだってTシャツ数枚とGパンしか有りませんでしたから、間違っても普通のサラリーマンは出来ませんよね。
そこで食事付きで、尚且つ制服貸与という仕事を選ぼうって事で、パスタ屋で働く事になったんですよ。
今でこそ人並な生活をしてますけど、もともとはボストンバックひとつからのスタートだったんだよね。
お金も何も無かったけど・・・逆に失うものも何も無かったから強かったのかもね、若い頃は・・・
このデジログへのコメント
頑張りやさんの始まりがあったからこそ、今があるのですね。若さって何にも負けない力だなと思います。
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