- 名前
- ぱすかる
- 性別
- ♂
- 年齢
- 73歳
- 住所
- 福島
- 自己紹介
- おまんこは神の秘術
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出会い系の女156
2013年09月14日 16:39
帰りのクルマで、女は聞いた、
ね、弁当屋さん、ドー思う?
はい、
すばらしいです、
でも、
でも?
はい、
べつに、離婚しなくても、できるんじゃないですか?
きゃっは、
ソーじゃナイの、
いろいろだけど、
わたしイ、ね、
夫とか亭主とか、ソーゆーの、いらないの、
男って、子どもを作るタネがあればいいの。
だから、あなたのタネでもイイんだけど、今仕込んだら、
できないことはないだローけど、62のババアよ、きゃは。
あとは、インランになりたいの。
インランになって、さんざん、キモチイイおまんこしたいわ。
・・・・・
女と子ども作っても、月20万円の年金と500万円の全財産では心許ない。
それに子どもが成人にナルまで82である。
むろん、これから女とキモチイイおまんこして子どもができたら、メンドーはみる。
前妻で適わなかった子どもが、カラオケの女でデキルとは、
こんな、暁光はナイ。
男の年はともかく、うれしいかぎいrである。
これから、この女とは、生でまんこしよ-。
精子が薄くなったこの男に暁光が訪れるかドーかは、神のみぞ、だ。
男は黙って運転した、すぐにシダックの駐車場に着いた。5分である。
子どもの成長みてね、コレが女のサイコーの楽しみよ、キモチイイおまんこして、
シアワセを感じたいの。
タダし、おまんこだけに終わるんじゃなく、シアワセに一緒に行きたいの。
ソーゆーおまんこじゃなきゃイケないわ。
おまんこだけのおまんこなんて、つまんないわ。
イクイクイク、だけでしょ、
あんなの、ホントのおまんこじゃないわ。
女は止まらない。
わたしね、オトシヨリ回って、自分も必ずオトシヨリにナルでしょ、で、聞いておきたいの、
あのとき、何をしておけばよかったか、ッテね。
あのときって、40代50代よ。
たぶん、男、って、ゆーと思うわ、
だから、ね、わたし、確認したいの。
もちろん、仲良しになったら、カラオケ歌ったり、夕食作ったり、楽しむわ。
オジーサンがおまんこさわったら、ギュッと、オチンチン、締め上げてやるの、
よろこぶわよ~、キャハハ。
やったらね、きっと、キモチイイクて、腹上死よ、
わたし、殺人者になっちゃう、きゃあ。
だからね、オトシヨリとはおまんこしないわ、その代わりオチンチン、モンで上げるわ。
ソーゆーコトって、すぐ評判になるから、上がったり、ね。
女はやっと一息ついて、着いたことに気がついた。
あっら、
ドアを開けて、腰を浮かしてケツを振った、やっぱ、女にそそられる。
紺のスカートは裾が大ぶりに揺れて、男を手招いてるヨーだ、たった今やったばかりなのに。
女は振り向いて、手を振って、挨拶した。
男は、言った、
みえこさ~ん、
はい?
これから、生でオネガイします。
きゃっ、いいわよ、
ありがとうございます。
デキレばいいわね。
わたしイ、も、生み方、忘れちゃった、きゃあ。
またね、
はい、
女は自分の車に歩いて行った。
ドーゆーワケか、男は遠方の死の背中どころか、未来のカンバスが、いきなり、
男の前に立ち現れたヨーな気がした。
万が一、この女と男に子どもができたしても、夫とか亭主とかにはならないだろう-。
女はそれを拒否して、女の協力者を要求するだろう、
そんな気がした。
弁当屋か、うん、わるくない、それで今日、弁当を用意してきたのか。
しかし、あのうまさはでは、大丈夫だろう。
手伝わなくてもイイから、おまんこだけしてくれればいい、
男は笑ってしまった、疲れてできなければ、ソッチのホーが問題だ。
シアワセは一人ではできない。他者を必要とする。
快楽は基本的に一人である。
ここでほとんど間違いを起こしているのだが、
おまんこで二人でキモチイイ快楽になっているのであろーが、
基本は、一人だけの快楽と同じである。
キモチイイ快感はは自分だけのものである。
男は、バイブに過ぎない。
男は電マである。
女は生暖かい声を出すダッチワイフである。
男も女も自分の快感を盛り上げてくれる相棒である。
もし、快感を高めてくれなかったら、イカしてくれなかったら、
いらない。
いらなくても、カネを持ってくるから、ガマンする。
も、カネまでも、もってこなかったら、とことん、
いらない。
男の値打ちはナイ。
コレがほとんどである。
カネの切れ目は縁の切れ目、まんこの切れ目は縁の切れ目。
男と女はコーゆーふーにできている。
縁の切れ目の男と女に、鋼鉄の赤い糸が足を縛ると、
悲劇と喜劇が同時に発生する。
別れられない悲劇と。墓まで罵り合う喜劇と。
快感がシアワセに変じると、世界が一変する。
手をつないだだけでもキモチイイ、離れていてもキモチイイ。
快感とシアワセは紙一重である。
快感にこだわるかぎり快感から超えられない。
快感の先にシアワセがある。
シアワセとは相手の存在で自分の存在を感じることである。
わかりやすくゆーと、
相手の存在感が自分の存在感になることである。
男は確かに、自分に快感を与えてくれる、キモチイイ、エクスタシーの快感を与えてくれる。
も、たまらない、シンでもイイ、
極楽の快感を与えてくれるが、しかし、
自分の存在とは、また違う。
自分の存在感が明瞭にあるから、また快感もある。
しかし、
シアワセは、おたがいの存在が消えるのである。
女と男が抱き合っているとき、自分の存在は消えてる。
男によって自分の存在が消えるとき、女によって自分の存在が消えるとき、
シアワセ、である。
自分の存在が消えるには、相手が必要である。
逆に、快感は、自分の存在が必要である。相手の存在も快感の補助として必要である。
女も男も相手の快感の補助者としての役目である。
存在者としてでない。
快感とシアワセはこの意味で紙一重だ。
快感とシアワセはいつも混同される。
快感があるとシアワセと錯覚する。
快感でつながっている女と男は、必ず、切れる、別れる。
なぜなら、快感は消耗品であるからだ。
無尽蔵な快感はない。
カラオケの女は、なにかを悟った、
一人で生きていけるだけのことを悟った。
キモチイイおまんこと子どもがあればいい、あとはいらない。
キモチイイおまんこは、亭主や夫にこだわらなくてイイ、
こだわると、シアワセをなくす。
トシヨリを回るとゆーのは、たぶん、
シアワセをなくしたことを、確かめたいに違いない。
しかし、世間的にはシアワセをなくしたことにならない、
夫に忠を尽くした、淑徳な妻として褒められてしかるべきもの、
ソー考えてるのだろー。
カラオケの女は、シアワセをほんの少し、知った。
世間は男のツゴーでできている、
男のツゴーとはシアワセをブチ壊す。
男とキモチイイおまんこして、知った。
男は社会的な落伍者だった、コレが女に幸いした。
落伍者の男に、男のツゴーはナイ。
男のツゴーはゼ~ンブ、デキル男にある。
しかし、シアワセを垣間見た女は、も、戻れない。
イプセンの人形の家のノラは、家出して戻ってこなかった。
ビートルズのshe's leaving home も、同じだ。
も、女は戻れない。
たぶん、コーユー女は少ないだろ、
フツー、女はセフレの女のヨ-に贅沢三昧するため、
決して離婚しない。
どっちがイイワルイの問題でナイ、
ホントのことを知ったときの、性分の問題だ。
男は、セフレの女もスキきだしカラオケの女も好きだ。
家について、おとこは、
もりさんにメールした。
他意はない、タダ、その後で、会ってみたかった。
げんきい、してるよ~
すぐメールが返ってきた。
も、さそってくれないのオ~、
あしたドーですか?
いいわよ~、どこ?
じゃあ、例の、改札口で、お昼頃。
わかったあ、
鈴木の取り持ちで、仲良くなった女だ。
それはソーだが、なんとなく、オモシロそーナ女だった。
しかし、あと、
10kg、腹か、背中に脂肪が、なくなれば、男の好みの女になるんだが。
2万円の女と同じ、愛嬌のあるニクメないまん丸な眼をしている、
惜しい。
https://www.youtube.com/watch?v=-lG3nXyI41M
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