- 名前
- hero
- 性別
- ♂
- 年齢
- 59歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 最近、美術館に行ってませんね。 休日は、料理をつくっています。 鯵のつみれ揚げを作り...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
おすそ分けします。(写真つけました)
2007年09月08日 22:27
笑顔で過ごしていますか?
昨日は、時間ギリギリで写真を載せるのを忘れました。
大変失礼しました。m(__)m
写真だけ編集したので見てみて下さいね。
今日の記事は、
渋谷の名物といえばハチ公。それでは、そのハチ公をモチーフにした渋谷の新名物「ハチ公バーガー」はご存知ですか?
ハチ公バーガーが買えるのは、ハチ公からほど近いところにある「マミドバーガー」というお店。実はここ、以前コネタでも紹介したファーストフードならぬファーストスイーツショップ。このお店で売っているのは、「バーガーの形をしているけど、実は甘いスイーツ」の数々。つまりこのハチ公バーガーも、あま~いお菓子なのだ。
「渋谷ならではということで、ハチ公をモチーフにしたスイーツが作れないかと考えました」
と語るマミドバーガーの担当者。地方からのお客さんも多いので、お土産にもなりそうなメニューとして開発したのだそう。パンにはハチ公の足跡と「ハチ公BURGER」の文字が入っていて、見た目にもかわいらしい。実はこのハチ公の足跡、お店のすぐ前の階段を降りたところにある渋谷地下街「しぶちか」の床でも見つけられる。なかには濃厚なミルクを使ったクリームがたっぷり入っていて、かなり美味!
ハチ公バーガーの発売は今年の3月29日からだが、すでに新渋谷名物としてかなりの人気を誇っているよう。実際に私もお店に行ってみたところ、すでに売り切れていて買えない日が何度かあったほど。
またマミドバーガーのオープンは2005年10月。意外にも男性のお客さんも多いそうで、さらに最近では外国人にも興味をもたれているそう。
「ハンバーガー文化のある国からの取材も多いんですよ」
どうやら外国では「日本には甘いハンバーガーがある!」というような紹介をされているよう。また国内では、地方の中学生が社会科見学として、来店するケースも多いのだとか。
「渋谷の街で受け入れられるためのポイントとして、持ち歩きながら、片手で気軽に食べられるスイーツをつくっています」
と言う通り、ハチ公バーガーも食べ歩きにちょうどいい大きさで、私もペロリと食べてしまった。気軽に楽しめる新・渋谷名物「ハチ公バーガー」。あなたも渋谷に行った際はぜひどうぞ!
heroも食べてみたいと思いました。(^@^)v
本日は、
人間関係がなければ、私達の生活は成り立たないと思いますが、そのきっかけとなるのが、ちょっとした人と人との触れ合い、いわゆる縁であると思います。
[縁を生かす]
その先生が五年生の担任になった時、生徒の中で一人、服装が不潔
でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に
先生は少年の悪いところばかりを記入するようになった。
ある時、少年の一年生からの記録が目にとまった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切、勉強もよく出来、将来が
楽しみ」とある。「これは間違いだ。きっと他の子の記録に違いな
い」先生はそう思った。
ニ年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅
刻する」と書かれていた。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りす
る」後半の記録には「母親が死に、希望を失い、悲しんでいる」と
ありました。
四年生になると「父は生きる意欲を失い、アルコ―ル依存症となり、子供に暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
駄目と決めつけていた子が、実は、突然深い悲しみをじっと胸に収め、必死になって生き抜いている生身の人間として、自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとってまさに目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?わからないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を挙げたとき、先生に大きな喜びが沸き起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独りで本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日はすてきなクリスマスだ」
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、少年から一枚のカ―ドが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出逢った中で一番すばらしい先生でした。」
そして卒業後、六年経って、又カ―ドが届いた。「明日は高校の卒業式です。
僕は五年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって医学部に進学できます」
十年を経て、又カ―ドがきた。そこには先生と出逢えたことへの感謝と、父親に叩かれた体験があるから、患者の痛みがわかる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのまま駄目になってしまう僕を救って下さった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生の時に担任して下さった先生です」
そして一年経って、届いたカ―ドは結婚式の招待状だった。
「どうぞ、母の席に座って下さい。」と一行、書き添えられていた。
たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
いかがでしたか?
heroは、このお話・・・
何度読んでも涙が溢れ出ます。
なので、皆さんにもおすそ分けします。
人との縁を大切にしたいですね。
心からそう思います。
出逢いの質が人生の質を決めると言っても、過言ではありません。
人と人との出逢い・・・
たった一つの出逢いが、私達の人生を根底から変える事があります。
良き出逢いを求めたいものですね。
ただ、悪い出会いも反面教師だと思えば、それも結果的には、良い出会いになりますよね。
要は、出会いを活かすも殺すも、自分の気持ち次第という事です。
常に感謝して、人を思いやり、良い振る舞いをすれば、災いは近付きません。
逆に、悪い振る舞いは、まわり回って自分に返ってきます。
オーラの泉の三輪さんではないですが…。
蒔いたタネは自分で収穫(後始末)しないといけませんよね。
そうならない様に、普段から、切磋琢磨致しましょうね。
お相手は、heroでした。
このデジログへのコメント
涙を拭いながら読みました。良縁も逆縁も前世からの繋がりです。逆縁はカルマを絶って良縁に変えなければ。
コメントを書く