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いい話…どんな立場になろうが

2011年10月01日 21:03

いい話…どんな立場になろうが

【どんな立場になろうが】

土光敏夫氏の心に響く言葉より…


われわれのサラリーマン生活は、みようによれば、最初の10年が人に使われる立場、中の10年が人に使われながら人を使う立場、後の10年が人を使う立場、と移り変わってゆく。

その間、立場の違いというものが、いかに人間の考え方や行動を束縛することか。

多くの人は身につまされて実感できるはずだ。

それを反省してみて、一応大過なく切り抜けて来れたといえる人は偉い。

そのような人が信奉してきた行動の基準は何であろうか。

私はそれは「使われる立場にいるときには使う立場にも考えを及ぼし、使う立場にいるときには使われる立場を思いやる」ということではなかったかと思う。

現役を退いたら…

はじめタービン会社を出るときは、停年になったら掃除夫でもいい雑役夫でもいい、工場をきれいにするとか、そういう仕事をしたい、あるいは門番にしてくれ、というようなことをいっていた。

そしたら、うんと客にサービスするから、ともね。

それが世の中というもんじゃないかね。

家庭でも初めにじいさんの代がある。

年老いて息子にゆずった。

そうなれば経理や売る売らないは息子がやる。

じいさんは、垣がこわれれば垣を直すとか、屋根が漏れれば直すとか。

社会もそういうもんじゃないかと思う。

まあ、現役を退いたら、ぼくは社会的なサービスをやりたい

ずっとそう思ってきた。

『土光敏夫 信念の言葉』PHP文庫


人には、色々な立場がある。
ある時は、会社の社長だが、家に帰ると夫という立場。
タクシーや電車に乗れば乗客だし、道路を歩いていればただの通行人。
でも、タクシーに乗ってもなお、偉そうに社長風をふかしたり、大会社の社員として傲慢にふるまう人もいる。
立場が変われば、役割も変わる。
どんなに偉い役職についていたとしても、辞めてもなお、それを引きずって生きていくのは恥ずかしい
喫茶喫飯(きっさきっぱん)時に随(したが)って過ぐ」という禅語がある。
お茶を飲むときは無心にお茶を飲み、食事をするときはただひたすら食事をする。
社長の時は社長を、掃除夫のときは掃除夫を、門番の時は門番を、ただひたすらに、淡々と職をまっとうする。
どんな立場になろうが、こだわりなく、飄々と、時に随(したが)いながら生きて往けたらいいなって思います(*^^*)

このデジログへのコメント

  • kouji 2011年10月01日 22:30

    はじめまして
    確かに土光さんの考えには共鳴できますね。
    それと、一生を貫く目的感が必要かと思います。

  • なな♪ 2011年10月01日 23:37

    koujiさん:初めまして※有難うございます確かに目的・目標みたいな物は大事ですね。何となくとは違う

  • kouji 2011年10月02日 08:41

    それがあると、現役中の経験が目的達成のために活用されて、そこからまた新しいものを造り出せるんです。

  • なな♪ 2011年10月02日 23:43

    koujiさん:それは素敵なことです

  • kouji 2011年10月03日 15:55

    素敵なことなんて言われるとテレちゃいますが、実際のところ今こそが私にとって人生の勝負どころなんです。

  • なな♪ 2011年10月03日 23:37

    koujiさん:じゃあ今が踏ん張りどころ。これを乗り越えたら…希望が目の前にありそうですね

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