- 名前
- ヴォーゲル
- 性別
- ♂
- 年齢
- 74歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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いい天気だった
2007年09月24日 07:21
10時からの射撃大会から2時頃戻り、そのまま家人の作品展示場に自転車でゆったり出かけたのはポカポカとした秋日和だったからでもあるのだが、この町の140人の芸術家が71の場所でさまざまな展覧会を開いていて5時までにいくつかの会場を回りたいと思ったからだ。
こんないい天気の日曜日は皆がそれぞれ表で日向ぼっこをしたり運河を様々なサイズ、形のボートを駆ってのんびりとクルーズしたりするのには最適だ。 この時期が過ぎて空に鉛色のものが混じり肌寒くなるとボートの類はもう来年まで繋留場所に留め置きか小さなドックでの補修ということになる。
家人が展示場としているヘヤー・サロンにはひっきりなしに来訪者が出入りして忙しそうなので邪魔にならないよう外に出て、パンフレットの地図と目ぼしい芸術家の作品展に自転車で出かけたのだが目的の通りを一つ間違えてレンブラントが育ったうちの200mほど北側に出てしまった。 かつてこの町が敵から防御する為の西の門を抜け出たのが間違いだった。 門の建物の下を通り抜けてすぐ右に曲がりレンブラントの父親の風車を右に見て跳ね橋を渡り昔刑場だった河岸のそばにあるレンブラント誕生の地を抜け右に折れなければいけなかったのだ。
昔、職人養成学校だった建物に多くの芸術家達がアトリエを持っていて、その中の何人かは顔見知りでもあるのでこの何年かの作品を見るのが楽しみだった。 その一人が韓国人女性の抽象画家だ。 もう20年以上前ハーグのはずれに住んでいた頃彼女は隣の住人でその人にしばらくピアノを習っていたことがある。 オランダ人の夫の父親はかつてコンセルトへボーオーケストラのコンサートマスターだった人で音楽一家であったけれどその後彼女も私と同じ町に越してきて長くなるがお互い町の反対側に住んでいたのでしょっちゅう会うこともなく今日は4,5年ぶりだったろうか。 その隣には家の近所に住む、子供達の学校で同級生の母親のアトリエがあった。 そこの子供は何年か前にロータリークラブの交換留学生として奈良の高校に一年間滞在して日本語もかなり分かるようになって帰ってきていた。
そこで忙しく来訪者に対応する知人達とは長く駄弁っていることも出来なくとも自然とすぐ時間が過ぎて、それでは次の場所に移動、ということになり、結構忙しい一日だった。 それにその場所を出たところで自分の自転車の後輪がパンクしていることに気づき2kmほどを押して帰宅する羽目になったのだが幸いなことにこの上天気に助けられ腐ることもなく日頃見過ごしがちな景色をながめながら歩いたのだった。
あちこちで挨拶が、いい日和だねえ、と聞こえていたのだが、そのニュアンスは、あとこういう日にちがどれ位続くのだろうか、という、もう冬支度をも頭に入れての挨拶だということが感じられた。。
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