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ヴィタール(Vital) : 見た映画、 Sep 07

2007年09月19日 09:49

ヴィタール / VITAL

2004年 85分

プロデューサー塚本晋也 川原伸一 日下部圭子 日下部孝一 朱京順 川原伸一
監督  :塚本晋也
脚本  :塚本晋也
撮影  :塚本晋也 志田貴之
美術監督 :塚本晋也

配役
   
高木博史  浅野忠信
大山涼子  柄本奈美
吉本郁美  KIKI
高木隆二  串田和美
高木慎子  りりィ
大山のり子  木野花
柏淵教授  岸部一徳


「鉄男」「六月の蛇」の塚本晋也監督が、“人体解剖”をモチーフに、人間の肉体と精神をめぐる不思議に迫る意欲作。交通事故で全ての記憶を失った医学生が、解剖実習を通じて記憶を超越した世界を生き始め、次第に再生していく姿を描く。主演は「アカルイミライ」「座頭市」の浅野忠信。また音楽活動休止中の Coccoが本作のためにエンディングテーマを提供。
 交通事故に見舞われるも一命を取り留めた医学生高木博史。だが、彼は自分が誰なのかも分からず、父や母の顔さえ思い出せないほど一切の記憶を失ってしまっていた。ただ、なぜか医学書にだけは興味を示す博史。そして彼は、大学の医学部に入学する。やがて2年生となり、必須科目である解剖実習が始まった。博史の班には若い女性遺体が割り当てられ、彼は解剖の世界に没頭していく。そのうち博史はふいに現実と異なる世界へと入り込んでいた。それは、彼が涼子という女性と2人きりでたたずむ甘く切ない光景だった…。


映画データーベースには上記解説が載っていた。 「六月の蛇」で美しい画像エロチシズムが描かれていたのを見たのだが、そのなかで今でも印象的に残るのが雨のシーン、青、緑の混ざる絵だ。 本作も雨に加えて同系統の色調の美しい映像がが見られそれでああ、これは監督の好みのトーンなのだろうなと察せられる。 映像としては映画のストーリーがなくとも雨、ガラスを通して何かが見える、何かを見る、というようなシーンのストックフェティッシュに持っていそうな気もする。 この嗜好エロスの世界でもそのようで、ここでは快楽追及の手段として首を絞める、というようなところにも現れているのだが、ここで我々に思い出されるのは大島渚の「愛のコリーダ」であり、快楽を求める主人公二人の究極の愛の姿でこの形がとられていたことだ。

大島作品では女に完全に身を任せこのかたちで快楽を完遂して死に至るわけだが本作ではそこまでは至らない。 そこに至れば別のストーリーが発生するのだが、本作では二人の女とこの形をとり、塚本性愛表現における嗜好の一形態をみせる。 それは本作では主に浅野の側からの視線であり浅野大島作の主人公のように快楽心中する気配は無く、快楽追求の気配は充分あるものの結局、性愛の死から生還して死に至る気はない。 この男は死から生還しているのだ。 

死んだ女の親を訪れて親に娘を殺したと難詰される場面は日常幾多と起こっていることと想像され、誰にでも起こりそうなことでもあり、他人事とは思えず、この場面は特に心に響く。 私も娘の父親でありこのようなことになれば同じように反応する蓋然性は甚だ大きい。 だからこの父親はステレオタイプである。 けれど浅野の反応はステレオタイプではない。 記憶をなくしていなければ慙愧の念、娘の心情に添う反応、この父親に対する反応も違ったものであったろうが過去を取り戻す、いや、取り戻そう、というような自然で健康的な知的好奇心とでもいえるようなものが浅野の反応であるから父親も怒りのベクトルもそれに対応して自然と変化する。 

ここでは好奇心はそれが満たされるまでは死の気配から遠く、文字通り健康的な態度を保つのだ。 浅野の態度は健康的でそれがVITALということだ。

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