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ノース・シー・ジャズフェスティバル 2007

2007年07月15日 13:27

今日土曜の散歩で古LPを見つけて買った。 もう20年ほど前になろうかその当時重いものから流行始めていたのフュージョンとのいいコンビネーション、特にヨーロッパミュージシャンが新鮮に響いて時々聴いていた。

2枚組みのLPでそれは確か、

MONTREUX SUMMIT VOLUME 1

Live at Montreux, Switzerland: July 24, 1977

Woody Shaw (tpsolo); Maynard Ferguson, Greg Bowen, Alan Downey, Stan Mark, Joe Mosello (tp); Slide Hampton, Clifford Hardie, David Horler; Georffrey P. Perkins (tb); Stan Getz (tssolo); Benny Golson, Dexter Gordon (ts); Hubert Laws, Bobbi Humphrey, Thijsvan Leer (f); Bob James (key, arr); George Duke (key); Janne Schaffer (gsolo); Eric Gale, Steve Khan (g); Alphonso Johnson (b); Billy Cobham (dsolo); Ralph MacDonald (perc).

というもので今からすると懐かしい名前が並んでいる。 これももう30年近く聴いていないのだが今日そのVol.2を見つけて同じような色柄のジャケットで懐かしく、また保存のいい2枚に5ユーロを払って気分よくそれを買い物袋に入った野菜や果物と一緒にぶら下げて表に出、いつもの魚屋で熱々の鱈の揚げ物を包んでもらい近くのカフェに入ってそれをビールに昼食にしながらジャケットの見開き解説を読んでいて当時の電気楽器対当時バップの重鎮たちのそれぞれの縄張り、好き嫌いのバリアを越えてスイスでこういうプロジェクトを試みたということの意義がそれぞれ演者の印象を綴っていて興味深かった。

Vol.1の方ではクリス・ヒンゼやスティーブカーンボブ・ジェームスジョージ・デュークそれにその前にCTIのオールスターズで聴いたヒューバートローズマイルスバンドでも演奏したことのあるかもしれないアルフォンソ・ジョンソンなどの振興フュージョン系のものを聴いていたのだが、それにも増して今日うれしかったのは昨年元気な舞台を再確認したベニー・ゴルソンやまだ颯爽としていたウッディー・ショーのThe MoontraneがこのVol.2に収められていたからだ。 それに今見てみると現在まだオランダで活躍中のTijsvan Leerの顔もこれらのキャッツの中に見える。

70年代終盤、大阪で忙しい輸出商社マンをしていた日々の隙間にコンサートに出かけたり時々輸入レコード屋を訪れて国内版より安価オリジナルであることの興味で見つけたLPの一つだったのだろう。 だからライナーノートもろくに読まずに只、皿を回していたのだったし、日曜の午後にはよく日向ぼっこをしながらWoody Shawのアルバム、Sundanceを聴いていて、後年、オランダに住みShawの悲劇的な死の前年かに小さなクラブでいまだそのような惨めなジャズ奏者を見たことのないような、酒とドラッグに精魂蝕まれてソロも生気なく紙袋に包んだアルコール臆面もなく舞台であおり座り込むざまだったのだがオランダ巡業で世話をしていたのがテナーの、先月今住む街でのビッグバンドゲストプレーヤーとしてテナーを吹いた Ferdinand Povelでそのときセットの合間に彼と20年以上経ってその時の話をしたのだった。

それとノース・シー・ジャズフェスティバル 2007とは何の関係もない。 ただ、このフェスティバルが長く開かれていた街でのShawの舞台に触れ、そこに住んでいたことがあり、毎年プログラムに目を通しており自転車で会場に行けたにもかかわらず未だに見聞したことがないのは家庭の雑事、丁度この時期には家族で2,3週間オランダ内外をバカンス旅行することで相性が悪かったこと、30年前には機会があれば見聞してみたいと思っていたものがこの10年来私には魅力の薄いものになっていたというのが足が向かなかった理由だ。

多くの有名なジャズメンたちがプログラムに見えるが他の名前がジャズプロパーから離れてブルースだのロックまがいだの舞台がが増えたことだ。 そのころクラプトンが出るのをプログラムに見て多分行くことはないだろうと思ったのも理由になっているのかもしれない。 クラプトンは今でも好きなギターであるのだがジャズに入れればたちまち色があせる。 そのうちこのフェスは見逃しても、聞き逃しても惜しくはない、ということになったのだろう。 そのうちこじんまりとしたジャズのスポットで気に入りのジャズメンが演ることになれば出かけて、身近に話を聴いたり一言二言話ができるようなことがあればそれでいい、と現在まで至っている。

昨日は8時のニュースにこの話題が出た。 オランダでは一番有名なジャズフェスであることは言うまでもないがこのところ少しばかり異変が起こっているということだ。 出演者の3分の2がヨーロッパの奏者たちでアメリカジャズメンが減っているということだ。 それは年々気づいていたことであるのだがその内容が大きく変わりつつあるのを残念に思っている。 ジャズはいつもその時代を反映して続いてきたのだがそれでも即興の妙、ダイナミズムに導かれて聴いてきたように思うのだが子供たちが聴くものと既に見知った繰り返しの音楽に力が抜けた。 これは一般的なこのフェスの印象で必ずしもすべての演者のことではない。 オランダの見知ったジャズメンたちには世界へのプロモーションの場であるので力いっぱい演奏するのは言うまでもないが入場料とプログラムからすると行くまでもない、ということなのだ。

これがこの古LPを買った店で店主と話したことの概要なのだがそのときにもっとこじんまりとして日々生成されるフリー、インプロヴィゼーションジャズを主体にしたフェスが8月の終わりごろ嘗て私が住んでいた街の田舎で催されるので2年ぶりに出かけることにしている、そちらのほうがにわかジャズファンとジャズの外縁音楽に溢れるロッテルダム、ノースシジャズフェスよりも面白そうだ、とも言って魚屋に向かったのだった。

夜毎、当日ノースシジャズフェスティバルの人気バンドを3つ4つ紹介するテレビ番組が1時間以上ありどのようなジャズメンが紹介されるか先ほどビール片手に見ていたのだがとても昔のフェスの内容とは思えないほどで、この日は昔のフュージョンギターラリー・カールトンジャズの重鎮とジャズの解説者ハンス・マンテルから紹介されるのを聞いてあきれてしまった。 ハンスはオランダ油井正一とも例えられるミヒル・デ レウター亡き後、テレビラジオ自己ベースの経験と知識をもとにジャズプロパーとして活躍中だし、いつか誰かのジャズセッション演奏の合間にNHK保管のジャズテープの多様さのことを私に語っていたのだが、それがここでは短小軽薄の波に逆らえぬ編集の性なのか今ジャズの名で人を集めるにはこのようなことになる、という惨めな例をみたような気がした。

ジャズは世につれ、、、、ということなのだがジャズの多様さに一層拍車がかかった気がしたとともにこのフェスがなくても他にもっとあるような気がする。 現に何年か前のオランダジャズ誌でなにかと競い合う隣国ベルギージャズフェス内容についてサッカーに例えてベルギーオランダ2−0とされていたのにさもあらんと同意したのだが今年はその差が大きくなっているようにも感じるし、見知ったオランダジャズメンの名前もベルギージャズフェスにそれぞれ並んでいるのも見られるからこれもやはりサッカー同様、チーム名ではなく誰がプレーするか、そのメンバーで大体強弱が分かるようだ。

そうするとノースシジャズフェスティバルのチームというのは名前が並ぶが人気はあるものの敏捷性にかけるものをラインアップにして実力のあるものを前面に押し出さないゆえ今まで応援してきた年寄りファンが去っていくようなものか。 オーナーにしてみれば煽ったその場の人気でアリーナへの入場券が売れればいい、ということなのだろう。

日本のフェスのことはもう30年も出かけていないから分からない。

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