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2007年04月26日 06:41

桜が終わり日頃の通勤の行き帰りには花も他のものが徐々に目に付くようになってきたものの木々の息吹が盛んになっていることに驚かされる。

この時期には近所の肉屋の近くにもう100年にはなっているはずの薄いピンクの混じった青い蔓にたわわに花咲く藤の連なりを見るのを楽しみにしている。 19世紀後半から20世紀前半というような住宅に初めの住人が入り口に植えたのだろう。 それが日々を経て隣近所までその蔓を伸ばして毎年美しい藤のアーケードをその通りに特に今の時期には見事な花曇を見せている。 

先週の土曜日にはまだそこそこと言うところだったのに今は花盛りである。 このあたりでは大抵3、40年で代替わりしたり宿替え、引越しで、人は生まれ去るというような移り変わりの入れ物である住宅の前に初めに誰かが植えそれが綿々と今も花を咲かせ付近の人の目を楽しませるのを見るのは眼の法楽だが、今日、買い物のついでにそこを通っていててちょっと気になったことがある。

藤、世界共通名ラテン語では Wisteriafloribunda - 英名 Wisteria,オランダ俗名 blauweregen(青い雨)であるのだが何時かライデン植物園で美しく大木になっている藤を見たときにはそれが江戸時代後期長崎駐在したシーボルトが日本から持ち帰った数々の文物、動植物の一つであり、その植物園では百数十年になる日本からのそれぞれ大木になっている到来植物は徳川家の紋章とともにその旨が表示されていた。 それならひょっとしてこの藤もその種や、株別れでここに植えられたものの末裔かもしれないと想像した。 日頃生活するところに江戸時代後期に髷を結った日本人シーボルトの影が多く投射されている町ではあながち考えられない話ではないかもしれない。

それに、この花を見ていて今まであまり関心も持たなかった日本舞踊で藤娘が花笠をかざして舞うその藤の花房も鮮やかに思い出されたし、また以前見た京染めの着物意匠の見事さをまじまじとこの花房に見入ってなるほどあのとおりだなと感心もしたのだ。 想いは続いて、学生時代に過ごした町が生んだ俳人の、死期が近づいたころ病床六尺的空間で綴った作品、瓶にさす藤の花房短ければ畳の上に届かざりけり、も思い出されるのだが、このたわわに咲いた花房をその病床に届ければどのような句ができるのかも想像の上で気にもなるのだ。

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