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一日生きたということは
2014年06月03日 23:37
人の生死について考えさせられたお話。
私たちが現在を生きているということは、そのまま死に直結している。
一日生きたということは、一日死に近づいたということであって、したがって死について考えることは、現在をどう生きるかという問題とつながってくるのである。
良寛は「死ぬ時節は死ぬがよく候」といっている。
死ぬときは死ぬ。
取り越し苦労をして、いつ来るかわからない死の不安におびえるよりも、いつ死んでもいいように、命のあるかぎり、その日その日を感謝・感動・感激をもって、精いっぱい生きていかなければならないということだ。
いつ死んでもいいというのは、投げやりになることではない。
覚悟をもって生きるということである。
人間は、いつ、どう死ぬか、病になって死ぬか、交通事故にあって死ぬか、誰にもわからない。
その覚悟は常にもっていなければならないということだ。
「ありがとう」戦略
清水英雄著
サンマーク出版より
「一日生きたということは、一日死に近づいたということ」
この言葉にハッとさせられました。
今日も寝たらまた明日一日がはじまります。
この一日を、何となく過ごすも、本気で過ごすも、同じ一日。
生きたくても生きることが果たせなかった人が、どうしても生きたかった今日という日。
一日一日を、精いっぱい生きます!!
このデジログへのコメント
人はなかなか死に直面しないと現実として受け入れられないもんですからね
心構え!
ですよね(^^)
感動って最近感じたことありませんね・・・
どうしよ
SYUZO-さん:そうですよね
りょうさん:普段から意識できてるって凄いです
ミッキーさん:これから感じることがでてくるかもしれませんよ
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