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2008年11月10日 09:49
Bクラスから日本一!「選手信じ」渡辺監督9度舞った…日本S第7戦
スポーツ報知 - 2008/11/10 8:01
◆日本シリーズ第7戦 巨人2-3西武(9日・東京ドーム) 勝った、舞った、ナベQ、日本一の胴上げだ! 西武が渡辺監督の大胆采配で4年ぶり13度目(前身の西鉄時代を含む)の日本一に輝いた。1点を追う8回無死一塁から片岡を盗塁させて同点劇を演出。先発・西口から石井一、涌井と先発陣を惜しげもなくつぎ込んで、2回途中から一人の走者も許さなかった。若きレオ戦士たちの手で9度、宙に舞った渡辺監督は、2004年の伊東前監督に次ぐ新人指揮官V。新人監督が前年Bクラスから日本一に導いたのは史上初の快挙となった。
喜びをかみしめるように渡辺監督はゆっくりと歓喜の輪の中に歩んでいった。「オレたちが一番だ!」野太い声を張り上げると、選手たちも人さし指を突き上げた。誰の目にも涙はない。昨年5位のどん底から一気に頂点に駆け上がった男たちの顔には、王者らしいほほ笑みがあった。「やれるだけ上げようぜ!」という声に乗って、99番の大きな背中は9度、宙を舞った。
「選手を信じて任せる」シーズン中から貫いた信念は土壇場でも揺るがなかった。1点を追う8回。先頭の片岡が死球で出塁すると、初球から迷いなく二盗を決めた。「あれは本人の判断。普段通りのことをしただけ。『待て』をかけたら勢いは止まっていた」栗山の犠打で三塁へ進むと、今度は中島の三ゴロで本塁へ突入した。「あの回に逆転したいと思っていた」指揮官の思いは平尾の決勝適時打となった。
新人監督の日本一達成は8人目だが、前年BクラスからのVはプロ野球史上初。43歳、12球団最年少にして唯一の投手出身監督らしいマジックもさえた。王手をかけられた第6戦で3日前に完封勝利を挙げたばかりの岸を2番手に送り込んで逆王手をかけると、この日も先発型の石井一、涌井をつぎ込んだ。昨年の監督就任時、西武を戦力外となった後、ヤクルト時代に野球を教わった楽天・野村監督から「投手出身の監督は野球を知らない」と挑発された。「きちんと言葉で理論を説明できる野村監督と出会って初めて指導者になりたいと意識した」それから10年。恩師も舌を巻く采配で栄光をつかんだ。
「ミスを責めない」というポリシーは現役時代の経験から生まれた。1989年10月12日、西武球場での近鉄とのダブルヘッダー第1試合。強打者ブライアントに直球勝負で挑み、バックスクリーンへ決勝の特大ホームランを打たれた。「ベンチ裏に森監督がすっ飛んできて『何でフォークを投げなかったんだ!』って怒ってね。その瞬間、俺もキレてグラブを壁に思いっきり投げつけた」。最も抑えられる確率が高いと信じたから真っ向から勝負した。「結果は使った監督の責任。選手には結果を恐れず、自信を持ってプレーさせることが大事なんだ」今もその壁を見て自分に言い聞かせている。
遠征には必ず文庫本を携えている。戦国武将の本を読み、指導者のあり方を学んでいる。「織田信長は嫌いだね。部下を大事にした武田信玄には一番学ぶことが多いよ」。「人は城、人は石垣、人は堀」選手たちを信じて力を発揮させ、ほんの1年前までは負け犬だった集団をわずか1年で最強の軍団に鍛え上げた。「渡辺西武王国」の黄金時代が今、幕を開けた。
◆表彰選手 ▼最高殊勲選手 岸孝之投手(西武) ▼敢闘選手 ラミレス外野手(巨人) ▼優秀選手 平尾博嗣内野手、中島裕之内野手(以上西武)鈴木尚広外野手(巨人)
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