- 名前
- ヴォーゲル
- 性別
- ♂
- 年齢
- 74歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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この三日ほどいい天気だったらしい
2008年02月28日 10:17
午後から出かけると一日が短く、それも時間が充分あるにしても何だかぐだぐだと出かけるまでが遅いものだから予定していたことには慌てて出かけるということにもなり結局自転車を漕ぎ始めると急ぎがちで周りが目に入らないようなことにもなる。
けれど、今日は帰りにはちょっとは時間があり、この3日ほど天気が良かったこともあり、青空が出て気持ちがよく、その青空にふさわしいようなちょっと寒さがもどったような、けれど手袋をつけるほどでもない、なるほど3月がそこまで来ているんだなと思わせるような、風の中に暖かさと寒さが混ざったような午後 4時半だった。
旧市街を取り巻く町の環濠に沿って自転車を走らせていると2週間ほど前にはあちらこちらに青、黄、白などのクロッカスがポツリポツリと咲き始めていたものがさすがこの晴れ間の日射時間がある程度のまとまりを見せたのかミニ水仙というような10cmにも満たないような黄色い花の株が3つ4つ固まったものがあちこちに顔を出している。 町を取り囲む星型の環濠に沿っていくと丁度午後の陽が当る部分にあと2週間もするとこのあたり一面に伸びた水仙で一杯になるだろうと思われるような小さい水仙が生えている。 別にこういうところは町の造園局が植えたわけでもないのだろう。 うちでも、まだ芽も出ていない細かい枝だけが茶色に残っている隣との垣根の下の、あまり陽の差さないところに植えてもいない水仙の葉が伸び始めているのだからここでも自然に生えてくるのだろう。
地軸が傾きながら回転することで出来る日光の多寡がこのように生き物に影響するというのが日に日に草花の芽生えで分かるというのは言葉では理解していたものの実感するようになったのは自分が年寄りになった証拠だとも思う。 もう何十回と季節のめぐりを経験しているのに心に沁みて実感しなかったというのはその時々見ていたのに雑事がそういう思いを実感できるような余裕を与えなかったのだろうともその一方でも思うのだ。
余裕ができてそれがどうだ、ということもあるのだけれど、その割にはせかせかしていることも確かではある。 だったらそれは余裕があるとはいわない。 そうするとそれは単なる暇があるようなないような中途半端なグウタラ生活だといくことか。
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