- 名前
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- 74歳
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- 海外
- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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ヴァレンタイン・デー 二つ
2008年02月15日 10:47
ネットで日本のラジオを毎日聴くのだが、ヴァレンタインチョコレートのことで喧しく、そろそろ人々もこの狂騒に飽きてきたのかその意味の無さに少し辟易してきているようにも感じるのだがこちらはというとメディアにも出ないし年頃の息子や娘の口からもチョやヴァなどの単語がでることはない。 愛の告白や感謝など何も今することはないし各自その時々でやっているのだから今更阿ることはない、というのだろう。 チョコレートなど日頃やり取りがあるのだろうし、12月5日のオランダのサンタクロース、シンタクロースの祭りの時には各自自分のイニシャルのアルファベットの形をしたチョコレートをもらうのだからひょっとしてまだ何ヶ月か前のそのチョコレートの欠けらもうちの何処かに転がっているかもしれない。
そんな日なのだがそれでもヴァレンタイン・デーだ、と気付かせることが今日一日で2つあった。
(その一)
毎週木曜日のスーパーでの買い物の前にその近くの魚屋の店で缶ビールで生の鰊と揚げた白身の魚で昼食にするのだが、魚屋の夫婦には4ヶ月ほど前に孫が出来たとその写真が店の前に飾ってあったのだが、私が魚をつまんでいると4つ5つの男の子とその母親らしき二人連れが店に入ってきてそのままカウンターの向こうに入った。 男の子は子供の体にはかなり大きなチョコレートの詰め合わせの箱をもっており、おばあちゃんプレゼントだよ、と差し出している。 でっぷりと肥ったおかみさんはそのこどもを抱き上げてほお擦りしぶっきらぼうな親父がおばあちゃんの誕生日でもないのに何だ、とその子供に訊ねるとこどもは、今日はチョコレートの日だろ、と母親の顔を見ながらいい、今入ってきたばかりの親子はまだ用事があるのかそそくさと出て行ったのだが出かけざま私の横を通ったその男の子は、「よろしく召し上がれ」と客のわたしにおあいそをいい、「ありがとう」と答える私に見向きもせず母親の後を追った。 ここではヴァレンタインの言葉は聞かれなかった。
(その二)
アムステルダムのジャズハウスに夜でかけたのだが、300人ほど収容のその会場は満席以上だった。 この日の中堅実力派、ヨーロッパの代表的なインプロヴィゼーション、及び作曲をこなすマルチ・リード奏者は出てくる早々、「ハッピー・ヴァレンタイン」と言った。 途端に会場のあちこちから笑い声が上がり本人もこのジョークに満足気味で、結局3時間ほどのステージの中で4回ほど、「ハッピー・ヴァレンタイン」といった。 そのたびに笑いが溢れた。 それはジャズの有名なスタンダードに「マイ ファニー ヴァレンタイン」というのがあって今日がヴァレンタインデーであればそれを演奏する、ということもありえるのだろうが、この人も多分聴衆も皆ヴァレンタインの習慣も、それが常套句となっている曲もちゃんとあたまにあり、普通のジャズでは演奏されるのだろうがここではそういうものとは程遠い、ということからこの人の皮肉の混じった、無理におどけて低音で発する「ハッピー・ヴァレンタイン」がこの人の音楽の、緊張と質のあいだに割り込んでその差異に滑稽感が湧くからだろうと想像する。
実際、なんでもないのにこの一言が爆笑を誘う雰囲気があるのだからこの一言は彼の音楽の即興フレーズと同格のものとなり緊張と弛緩が骨格のこの種の音楽に理由無く自然に混ざって演者も聴衆もそのユーモアを共有することとなったのだろう。
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