- 名前
- ヴォーゲル
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- 年齢
- 74歳
- 住所
- 海外
- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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床屋で
2008年02月16日 02:54
昼に明るい陽射しで目を覚まし、春が戻ってきたのかと外に出ると5℃で例年のこの時期のものだとその青空ときりっとした空気に目を覚ましたのだが、予定していたとおり今日の午後は床屋で過ごそうとそのまま自転車を漕いだのだが、床屋に向かう途中にATMに寄らねばならぬ。
先ほどズボンをはくときにポケットを探っても周りを見渡してもハッシュパピーの小さな皮の財布が見つからない。 去年の正月に日本に帰省したときにアウトレットで求めたものだ。 家の中の目ぼしいところは捜してないのを確認したのだが同時に最後に財布にふれたのは何時だったかを思い出してみると、それは昨晩、11時55分アムステルダム中央駅で5番ホームに上がるエスカレーターのところで駅員に切符を見せ、それを財布に戻しズボンの後ろのポケットに入れたときが触れた最後だ。 そのとき友人とジャズハウスからずっといろいろ話しながら自分の降りる駅まで話しながら来たのだからそういう動きは無意識で財布をポケットに入れるときに落としたかもしれないというような可能性が一番大きい。 小銭がかなり入っていたからちゃんとポケットに入っていればその重さでその後電車内外の動きでも落ちることはないだろうからやはり可能性の一番大きいのはそのときエスカレーターに落としたということだ。
夜中のアムステルダム中央駅は週日は静かなものでエスカレータの前後には人はいない。 週日の夜中でなければ後ろに人がいてそんなときには大抵声をかけてくれるのだろうが小さな財布は寂しくエスカレータがクシの歯のように入り込むプラットホームでひとり寂しく微かに蠢いている。 さて、だれもいないところに財布が落ちている。 それを見つけて手にとって周りを見てもだれもいない、中には誰のものか判定できるものは入っていない、ただ、80ユーロほどの現金とスーパーのボーナスカード、切符、自転車の空気を入れるための口金、が入っているのだったら警察にも届けないだろう、持ち主を判定できるものがなにも入っていないのだから。 それがここでは普通だ。 落としたほうにしても届けようが無い。 かりに警察にでかけたとして自分の財布を見つけたとしてもそれを証明するものが無いから警察にしても簡単に渡すことができない。 結局なくしたのだ。
だから床屋の散髪代を払うための現金を下ろしにATMに行く。
日当たりのいい金曜の午後、床屋にはオジサン、ジイサンたちが4,5人新聞、雑誌を眺めながら四方山話に余念ないのだろうからそこで1時間半ほど座って待つのだとしたら読みかけの本を持っていって読もうと本と老眼鏡をコートにいれたのだが、その老眼鏡入れだ。
仕事では幾つかの建物をあちこちと移動するのだがそのときに老眼鏡をもって動き、何処かにその入れ物を置き去りにしてあとで気が付いてからそこに戻ったらすでに無かった。 ビルの管理人の所にいろいろと忘れ物があつまるから3,4日経って出かけて訊ねると箱の中に雑然といろいろなものが入っている。 同じような人がいるもので様々な色、形の老眼鏡入れがあるのだが自分のものはない。 仕方がないので老眼鏡を別のものに入れて何とかしていたのだが先週突然仕事場の自分の連絡箱に無くした眼鏡入れが入っていた。 理由はある。 テープに名前を印刷して貼り付けられる器具があるが、それを家人が仕事場で試していて家族の名前を印刷したものをもらい、自分の名前がついたテープを貼り付けてあったのだ。 ほぼ3ヶ月ぶりである。
この二つの例を比べてみて、まあ、財布は出てこない、という可能性は99%以上だろうと諦める。
と、こういうことを床屋に言うと、それほど耄碌してきたんなら若いものがやってるようにしたらいいよ、という。 パンクの若者なんかあちこちに穴を開けていろいろ金目のものをつけてるけれどあいつら財布なんかチェーンつけてズボンに繋いでるわね、だから、あれだよ、パンクやって若返るんだね、と言われた。 ま、カードや他の情報が分かるものを入れてなくてまだ不幸中の幸いだわね、けど、ま、あんたにしてみたらこの散髪代16ユーロ50セントの大体5回分か、秋までの散髪代だなあとのたまう。
幸いなことかちょっと寂しい気もしないでもないが散髪台には一人座っているだけで待ち人はいなかったから自分の本は読まずに老眼鏡もかけずに写真ばかりが多い雑誌を眺めていて若い女の半裸に混じった中にオランダで昨年凶器で命を落とした統計のようなものが出ていたのだが銃器のために人が命を落としたというのは18件で数は減少していると出ていた。 意外な気もする。 一年で数百発撃つものとしてはこういう記事は目に入ってくるのだが、そのとき散髪をされている客が床屋のエリックに、おれ禿げてないよな、ときいていて、それに床屋が、まだ沢山あって大丈夫だね、と答えている。
そのつぎに私の番になって同じ事を聞くと同じような答えが返ってきた。 でもね、子供たちは私は禿げてるというんだよ、エリックは禿げていないと前にもいってるのだから、それにエリックは専門家だぞ、というと、エリックが嘘ついてるんだ、との子供たちの答え。 そういうとエリックは転げそうに大笑いした。
出来上がってからもう一つの鏡でわたしに頭の後ろや頂を見せているエリックにもう一度、禿げてるかい、と聞くと二人ともただニヤニヤするだけだった。
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