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猫の階段

2008年02月06日 08:49

猫の階段

町を歩いていて妙なものを見た。 アパートが並ぶ辺りの裏通り、二階にあるベランダの縁から長板に細い横棒が貼り付けてある幅10cmほどのものが階下の歩道近く、まで下がって途切れている。 どうも階段のように見えるのだが勿論、これは人間のためのものではない。 ときどきモルモットや鼠を飼っているうちでは同じ形式のものをケージのなかの小さな鼠の家というのか巣と言うのかそういうものから下に降りるための階段にしてあったり、また、小鳥を飼っているうちでも同様にこのようなものが籠に入れてあったりする。 小さなインコオウムがそこをのこのこ上がり降りするのはユーモラスな眺めでもある。

これはまさか鼠やモルモット、ましてや鳥のためのものではないだろう。 犬のための階段にしては華奢すぎてその辺の小型の犬でも荷重がかかると折れそうだ。 だからこれは猫のための階段だろうと結論付けたのだが、地上から6,70cmのところで終わっている。 だから猫はここまで伝い降りてきて飛び降りなければならないことになる。 まあ、飛び降りるのは簡単だとしても、さてこの猫、うろうろそこら辺を散策したり近所の猫といさかいをしたり春になって色恋沙汰に励んだあといざ家に戻るとなるとこれぐらいは飛び上がれなければ家に戻れないことになる。

うちの猫をみていると裏庭の木に駆け上って物置の屋根、塀を伝わって隣家に、というルートは手っ取り早いものであるからよく木の上から下を通る私を眺めているということはあり、ほぼ垂直な木の幹に爪を引っ掛けそこまで登るのだからこれぐらいの高さだと難なくクリヤーするのだろう。 勢いをつけて駆け上れば1m以上一気に登るのではないか。

じゃ、それではなぜ下までこの階段をおろさなかったのだろうか。 もちろん、この高さままで猫が飛び上がれるからそこから下はつける必要がない、といえばそうだが何か他にもそのような理由があるのではないかと考えた。 ビルの非常階段がある。大抵が下まであるが中には丁度大人が立って胸の辺りから垂直な階段が始まっているところがあるし、また手を伸ばして頭の上ほどのところにある梯子を何かのフックを外して下に梯子を引っ張り下ろす仕組みのものもある。 そのようなものは完全に梯子が下までついていないからこれもそれと同じ態なのだろ。 つまりそこまで必要ない、という考えた方だ。

人がこれを使うとか、人ではなくとも子供がここを伝って登ってくる、というようなことまで考えてそれを防ぐため、ということなのか。 まさかそんな馬鹿なことは、、、、。 犬でも壊れそうな階段である。 

町のアパートマンションに住む猫は当人、いや当猫にとっては厄介だ。 2階に住んでいてこれなのだから4,5階から上の住み猫はこのような梯子を上り下りするのだろうか。 大変だ。 この2階の住人は下に誰も住んでいないからこのような解決法を取ったが普通は3階の人が階下の住人の許可を得て梯子を下に伸ばすというのはあまり考えられない。 階下の住人が自分のうちのベランダに他家の猫が通過するのを快しとはしないだろうしそれは心理的なプライバシー侵害、ということも考えられる。 4,5階から上になるとましてやいくつもの階下の住人のなかで一人が首を縦には振らなければどうにもならない。 アパートマンションでは住人の入れ替わりがかなりあるから人は少しでも厄介がありそうだと分かると断る傾向にある。

同じ階を行き来するのであれば入り口のドアに猫用の小さな出入り口が開けてあるところが多いが大抵アパートでは階の終わりのホールに出るところではドアがありそこは鍵がかかっている場合が多く、階段が無い場合はエレベーターを使わなければならない。 猫一匹の裁量で下にはいけなくなる。 鍵を見分けて鍵穴に通し捻り、開けてホールに出て階下へのボタンを押さねばならない。 そこまで出来る猫は今のところいないようだからアパートに住む猫有り家族でも表のドアには出入り口の小窓は見られないのが普通だ。

幸いか幸いでないか分からないけれどここの猫は外を散歩できるから三味線の皮のために徘徊する猫とりや車に轢かれるようなリスクはあるもののべとべとと降る雨にびしょ濡れになる楽しみやそろそろ芽が出始めたいろいろな草花を嗅ぎまわる経験ができ猫の自由を謳歌できる。 

動物の福祉をうたって政党を結成し候補者が当選して国会議員を一人オランダ第二院(衆議院)に送り込んでいるオランダ動物愛護党がある。 そのうち高層住宅にすむ動物のために飼い猫、犬、インコに蛇たちが自由に外気の、彼らにとっては自然を享受できるようになんらかの施設を国家予算に計上するような議案が国会で議論される日がくるのだろうか。 それよりも今尚ウサギ小屋のような老朽アパートにひしめく移民の子弟、家族の教育、福祉に予算を投じないと動物の福祉どころか社会の安全が危うくなりそうだとおもうのだが、人は色々考えるから民主主義というのはやっかいだ。 現に私の知人でその党に属している者を知っているがその人の動機が果たして今の人間社会の均衡を図る上で政治上有益かどうかは少々疑問だ。 今の政治家政治状況に失望してそれではこれでも、というような党員もいるのではないか。 そういう党は猿、犬、猫を食う中国、犬を食う朝鮮クジラを喰う日本には批判的だが一頃昔の議論、北が南の人間を食っているというような事態をどう見るのだろうか。

猫可愛がりというのは他のものが目に入らない、愛らしいものは他のものから目を奪う、というような事態に導かれるということもあるではないか。

猫の階段から転げ落ちて少々訳の分からないところへ着地してしまったようである。

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