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古式銃の競技会で
2008年02月19日 08:36
地区の射撃大会が地元のクラブ主催であり一日中それに従事した。 自分も2種類の競技に参加したもののそのほとんどは裏方であり射場監視員の役である。
世界規定の古式銃射撃の長銃50m競技会である。 古式銃射撃は1880年以前製造のオリジナルかそのレプリカ、民事、軍事用、長銃か短銃、先込め式か、後込め式か、火縄か、火打石で発火させるのか、それともパーカッションという普通は薬莢につけてある雷管様なものを銃身の外に着け、撃鉄で叩き発火させ銃身内の火薬爆発させるのか、紙、金属の薬莢と雷管の組み合わせのものなのかという様々な種類を短銃なら25m、長銃なら50mか100m離れた紙の的に 30分で13発撃ち、そのうちの下3発を除外して直径5cmの的に10個入れば100点というような数え方をする競技なのだが、現代使用される窒素系の火薬ではなく昔からの黒色火薬を使うことが義務である。 以上の組み合わせを勘案すると50以上の種目が数えられ7万人以上がスポーツとして射撃をするオランダ射撃連盟で古式銃を扱う会員数はその5%位かと言われている。 しかし、実際に競技会に参加する会員はそれよりも少なく、この土、日、2日の我々の地区大会では50m長銃競技のみが行われ延べ150人ほどが参加した。 けれど一人でいくつもの種類にエントリーする者もあるから実際には7、80人だったのかもしれない。
オランダの全国大会もここで行われることもありその大会に、例えば長銃50mの競技なら2日間で参加する延べ人数にしても今回の2倍にはならないというもので全国大会といっても数がたかだかしれており、特殊な種類であれば参加者が5名ということもあり、がんばればそこで優勝できなくも無いがけれど往々にしてそういう部門にいる人たちはその銃器に知悉し訓練を重ねている専門家であるから入賞はできても簡単にはチャンピオンにはなれないことが多い。
一般に射撃は社会的にはあまり歓迎されないスポーツである。 銃器が犯罪に使われるその凶悪なイメージがあるから我々にしては少々迷惑なところもある。 実際にきのうか一昨日もまたアメリカで何人も大学で銃弾に倒れたというニュースが報道されているし、アメリカ社会に批判的な映画監督の銃器を巡ってのドキュメンタリーは話題になったこともあり彼はアメリカ内での銃器について批判的であり我々もアメリカの現状については批判的である。 反対派が曰く、銃器の目的はただ一つ、人や動物を殺すこと、倒すこと、アメリカの銃愛好者の言は銃の目的は相手を止めること、つまり抑止力の道具でありこれは憲法に保障された自衛権と個人の自由に基づく、ということだ。 しかし、アメリカでの銃が日常で用いられる運用の現状は我々からすると非常に危険なものを含んでおり、オランダでの現状からはとてもかけ離れたものである。 けれど、これを見た一般の視聴者は世界から銃所持を禁止しろという論へポリティカル・コレクトへの誘惑に簡単に乗って移動しがちである。
勿論、凶悪犯罪に銃器が使用される例は多いもののオランダでの昨年の銃器による死亡者数は18という統計もある。 そして警察の発表では犯罪に使用された銃器の90%以上が登録されていないものなのだという。 違法の銃器をどう取り扱うかということが社会の安寧を管理する警察の仕事であり我々のように規則でがんじがらめにされた中でスポーツとして銃器を使用するものには一般の銃器に対するイメージはある種困ったものとなる。 ある事件がもととなり世間から銃器の所持を禁止しろとの声、世論がたちあがり、どの政府にしてもそれは治安上都合のいいもので実際には殆ど犯罪の役に立たない古式銃をもスポーツからなくした例が15年ほど前のイギリスにある。 その後、どのようになったか承知しないが今ではその感情的な世論もおさまり競技には支障がなくなるほどには回復されたものと想像する。 当時、我々の会員がイギリス各地で開かれた、禁止された放出された銃器のオークション、競売会に出かけていたことを思い出す。
我々のような古式銃の集まりでは平均年齢も高く、夫婦、家族で参加するものもあり、20年ほど続けていれば自然と顔見知りになり持ち回りで州のなかの各地のクラブで同じような競技をやっていると互いに歳をとったことを忘れるのだが時々は昔、小さなちょこちこクラブハウスを走り回っていた子供が若者となり射場で親譲りの銃器で参加するのを見てそれで時間の経つのを実感することがある。
マッチョの世界とみられているし、そういう要素は無くはないものの殆どがごく普通の市民であり、マッチョと見られるのはその内側のシャイさを隠す楯となっていることも多く、ぶっきらぼうではあるが親切、親しくなればなるほど互いにマッチョに振舞う、という面もあるようだ。 趣味のあつまりであるから殆どが競技会とクラブでしか顔を合わさずほんのたまに顔だけのしりあいであるものと町で会うとその場違いなことに両方とも戸惑うということもある。
この日の競技会には殆どが男性の中にも女性の射手たちが見られる、若い女性、妻であり、母であり祖母である人たちなのだが数からすれば全体の5%以下だろう。 昔、クラブのテーブルで塗り絵をしたり、ときには彼女の母親が作ったインデアンの細工物を広げたところで店番をしていた小学校に入るか入らないかという少女が今はしっかり若い女性となり先込め式のパーカッション銃を撃っているのが見かけられた。
このデジログへのコメント
ライフル射撃に機会をうかがっています。のどかな古式銃射撃も日本国内から見れば同じ規制でうらやましい。
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