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- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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ディープ・スロート; ポルノを見る宵 23-2-8 (1)
2008年02月25日 11:23
ここ何週間かオランダのメディアを賑わしていた、国営放送の放送枠を使って映画という媒体で70年代以降の隆盛を極めるジャンルの金字塔、というより別のぐにゃぐにゃするものをしっかりと塔に立てるのが目的の一つであるポルノ産業の始まりとなった「ディープ・スロート」を放映することで殆どの政党が何で今更こんなものをと別にそれに意義を唱えない中、現在内閣第一党であるキリスト教民主党が連合している宗教的に強固に保守的なプロテスタント連合党が阻止するべきだと噛み付いてメディアもそれを出汁にして今、何故ポルノか、というようなことになった宵だったのだと思う。
今更ながらポルノなど掃いて捨てるほど巷に氾濫していてMTVなどでは子供の手の届くところまで形を変えてじわじわと浸透している現在、どのようにポルノやそういうものをを見なくても生き延びられるか、それが困難というような時代に、もう35年も前のポルノを見る意味は何なのかである。
今日の午後、土曜マーケットの近くの古CD,LP屋で40半ばの主人が私に今夜は何か面白そうなコンサートがあるのかな、この辺りには無いしあんたどうするの、と私に訊ねるので、こないだからテレビで言ってたディープ・スロートを見るかな、といえばオールマンブラザースのLPを見ながらそれはいい、しかし、あんなもの今見て面白いのかねえ、というからそこでひとしきりポルノ談義になったのだ。 実際沢山は見ていないもののリベラルな北欧型フリー・セックス、ポルノ解禁と70年代にはスウェーデンとならび日本では知られていたオランダに1980年に来てからは幾つかは見たことがあるけれど特に印象付けられるものはなく自然と見ないようになっていたのだが、ポルノは並べていないもののいくつもDVDをその店に並べている主人も、あれはみたことがあるのかないのか覚えていないというのに反応して自分を思い起こしてみても見たか見なかったか定かでないのだ。
大学生のころ日活ロマンポルノ、パートカラーというようなローバジェットフィルムで絡みが始まるとカラーになりそれまでのつまらない白黒の部分はいびきをかいてもカラーになると誰かが起こしてくれる映倫通過のそんなものを映画館で見、友達の親戚がハワイに行くといえばその土産にポルノ雑誌やその類を頼み、ハワイのホテルでその親戚がマカデミアナッツの箱の中にそういう書画を入れ込み帰途税関で冷や汗たらしながら通過したものをまわし見した思い出も懐かしく、今のそれこそインターネットで殆どなんでもございというような状況からは程遠い、今からみれば牧歌的時代だったことを思い起こす。
ポルノは猥褻なのだという。 私の今住んでいるところでは猥褻問題はすでに70年代にクリアして多分、性を巡るものは宗教的なモラルがかすかな咽喉の奥の小骨として引っかかるのだろう。 猥褻と表現されるものは性を巡るものもあるが主には政治的偽善という意味の方が使われるのではないか。 だからこの宵のプログラムはオランダでのポルノを巡るこの40年ほどの言説ともう今では火花の散らない保守宗教団体だけが劣勢を意識しながらも負け戦の一方的なゲームでしかないほぼ歴史的人類学的考察の一時間で、四十半ばのオランダ文学者、作家が、超とつくかつかないかは知らないものの保守的ではある党の20歳になるかならないかの党員と対話し、立てようとしてももう立たない中途半端な慣れっこになった退屈な時間を曖昧に済まし、その次の一時間はこの映画を巡る2005年アメリカ製作のドキュメントで、この映画のプロデューサー、監督、俳優を初め「跳ぶのが怖い」エリカ・ジョング、「プレーボーイ・へフナー」、「ハスラー・フリント」から80年代のフェ二ニスト論客カミール・パグリア、セックスドクター・ロスおばさんなどが当時の状況を語ったのだがこれを見てこれがこの夜の収穫だったように思う。 我々の年代の性を巡る時代文化を再検証するようだった。
当時の日本の状況とも照らし合わせて両国の湿度の差を感じたものだ。 60年代だったかノーマンメイラーだったかがこれからの開くべき地平はセックスだ、といったようにここでは政治の政と性の性が絡み合う時代だった様に描かれている。 つまり誰が力を誰に行使しどのように動かすか、というようなことだろうと思う。 けれど性世界の開拓とポルノは違う。
欲望の国アメリカは自由を追求する権利を放埓に謳歌するがその一方、モラルでは非常に保守的な国でもある。 だからヨーロッパから見るとそのバランス感覚に戸惑うのだがその幅広さがダイナミックなところで多くの人を魅惑しひきつけるのでもあるのだろう。当時、アメリカの保守的なところで過ごした人たちとカリフォルニアあたりかニューヨークのリベラルな空気を経験した日本人たちの意見はかなり違う。 法も州によって違う。 だからその法の目をくぐってマフィアがこの映画にとびついて荒稼ぎしたようだ。 性に絡んで法すれすれに金が動くところには組織暴力の影がちらつく。
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