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- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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初代桂春團治、いかけ屋などを聴く
2007年11月25日 07:55
初代 桂春團治 五
First Music Co. FGS-155 録音; 昭和初期以前
1)いかけ屋 13:21
2)無いもの買い 14:38
3)口入屋 13:49
4)提灯屋 13:19
i-Podに入れた落語を時々聴いている。 現代的な薄いレコーダーに無差別にCDから情報を流し込んで聴くのだが、今回の噺は少々楽ではない。楽語が楽ではなければそれは何なのだろうか。 砂川捨丸がかろうじてテレビ時代にブラウン管で三河漫才の流れを汲み、「漫才の骨董品でございまして、、、、」と言いながら鼓をポンと一つ打ちながら演じていたのはもう30年以上前である。 70年前ではこれも落語の骨董品になっている。 のんびりと聴いていてはなんのことか分からないところがあり、なるほどこれはサブカルチャーの古典だなと、古いものがCDに収められそれが小さな金属の切れ端につながったひも付きの耳栓から頭の中にSP盤の擦り切れ音に乗せて流れてくる少々のだみ声を聴きながらその時間の隔たりを不思議に思った。
これを聴くのに楽でない理由はは幾つかある。 一つはその主題であるのだがこの全集の編集者は初代の、上方ビジネス、商家の噺をまとめてこの第五巻にしたとみえる。 この中でかろうじて現代に残る商いは2)の魚屋だけで1)のいかけ屋、これは昔、鍋釜の穴の開いたものを街角で修理する行商サービス業、私のほんの子供の頃には道端に火を起こして金槌でこつこつ鍋釜を打ちハンダで穴をふさいでいたのを見た記憶がある。 4)は今では照明器具店、3)は就職斡旋業である。
その二番目は今は無い職業で使われる言葉であり、噺のなかに人々が使う言葉である。 落語では聴くものは楽に面白いものを笑いたいと思って聴く。 気持ちをゆったりとするところに噺が入って全て自分の見知った範囲の言葉だからその洒落、軽口、地口といったもので笑いに誘われる。 そこで笑いたいものが笑えなければ少々の失望と不満が残る。 何故笑えないのか、噺の流れでは面白いはずなところで引っかかるのが理解不能の言葉、譬えなのだろう。 そこでは聴くものの世界からは離れた噺が語られているということになる。 ことにこのCDではサゲとそこに至る部分でこの隔絶感が残った。 しかし、70年前の聴衆には完全に同化して笑える世界があったことは確かだ。
以前にも記したが、ここに収められている噺の時間的制限によるそれぞれ15分弱というのは余りにも短すぎる。 当時の今よりはゆったりと時間が流れていてそれぞれも30分ほどはあったと思われる噺の部分をほぼ半分にして下げを貼り付けたというような想いがある。 初代の少々かすれた良く通るだみ声は30分ほど聴いてからその世界の佳境に入るのではないかと想像する。それは私が子供の頃、テレビで聴かれた落語がこのようでもあり、そのたびに祖父母達がああ、これでは短すぎる、ゆったり出来ない、といっていたことが思い出されてテレビ時代の細切れ文化、と初代の時代の録音時間の制約がこの噺家の奔放さを充分味わえないと思わせる不満の素である。
1)いかけ屋は私にはなじみ深い話で小さいときから何回も聴いている。 とくに三代目のいかけ屋は悪ガキたちにやり込められる噺なのだが三代目では初代の芸を継いでいて子供達が生き生きと表現されそれに対応するいかけ屋も比較的のんびりとしている。 というのは初代の噺、語り口とくらべてのはなしで、悪ガキ、いかけ屋の口調に荒さがまじり、これが初代と三代目の個性であり芸なのだ。初代のこの録音では今まで聴いたことのない展開となる。 それは山伏がでてきてオチが少々唐突な感もしないではない。 大峰信仰の山伏なのだが自分を山上詣りだとしてサゲる。 私自身も村の男たちが何世紀も行ってきた山上詣りを山伏の装束に身をやつした導師に先導されて参った経験もあり山から下りてふもとの村で男たちが厄落としとして色事にふける場面にも立ち会っている。 不思議な経験ではあったが、このことをもここで思い出し、いかけ屋は別々の話が合わさったものでなかったか、というような思いも頭をよぎった。
2)は荒っぽい噺である。 大体このCDでは店の主人と客、もしくはそこを訪れるものたちとの掛け合い、相手を出し抜く、というようなことも大きな題材となっているのだが、笑いの要素、相手の不幸はこちらの幸せ、というようなところであろうか。 今では結婚式のそれこそ飾りだけの鯛が実際に大きな価値をもっていた時代に鯛をめぐる客と魚屋のやり込め合いに活気のある噺であるのだが、今ではこのような掛け合いはとても想像の出来ない魚屋の店頭である。
3)口入れ屋の仕組みは概ね現代の職業斡旋業と代わりが無いものの、まるで遊郭の女郎を選ぶように商家の者が働き女を選んでつれて帰るところに時代を想った。 ここでは女ばかりの働き手応募者があつまる周旋屋なのだがこれがこの話の本題につながる。 商家の手代、おとこたちは番頭ほどになると自分の家をもつものがあるものの商家に丁稚たちと一つ屋根の下で寝泊りするのが常で、小学生ほどの丁稚から青年、成年の男たちが働き、家事をする少数の下女たちもいる。 そこでは成人の性があるのは当然で、農村では夜這いが文化としてあった時代、商家の女主人は下女を口入れ屋から雇う際には労働力として価値のある、けれど単身寝起きする男たちの間に性的な「乱れ」を起こさないよう醜い女をもとめるのだが、ここでは番頭が自分の都合の言いように美形の女中をつれこんで夜這いをかけ失敗におわるという微かに艶笑を含む噺である。 昔にはどぎつい当時の風俗を笑った夜這いを巡っての噺があったはずなのだが、こういうものは実際に寄席に出かけてでしか聴けなかったものなのだろう。 現代の夜這いはどういう形なのか想像もつかない。 コンビニの門、繁華街の喫茶店、人が行きかう橋のたもとかもしれないのだがその違いを思うと少なくとも村の夜這いでは家族もそれを承認していた節がある。 昭和の初めまではそういう風習があったと聞いた事があるが、今でも男女の性の鍔迫り合いは東西どこでもしっかりおこなわれている。
4)提灯屋という商売は今でもあるのだろうか。 昔ほどではないのは確かだ。 商家の宣伝効果として提灯を出す。 祭りには不可欠だし、寺社では寄付の印として何年に一度かは作りかえられる。 私が子供の頃、村の盆、祭りの頃には各戸が門前に家紋を示した提灯を灯していたことを覚えているが1950年代のことだったのだろう。 慶凶事の際には家紋がついた衣服を着て金品を包む布にも家紋がついており、日常の什器、道具にも家紋がついているものがあったのだが高度成長期からそれは消える。 核家族となると殆ど慶凶事だけのことでそれに参加する大人には幾分か伝統は残っているものの日常生活のなかで子供達が家紋を目にする機会は昔に比べて大きく後退している。 ただ、この10年ほどで家紋に対する興味が戻っているとも言われインターネットでもそういうサイトがいくつもあると聞いた。 この噺はその家紋を書き入れて商いにする提灯屋であり家紋が書けなかったら御代は要らない、というところに無理難題、ここでは判じ物にしてやりこめ、まんまと手に入れる、というわらいであるのだが、その判じ物、オチは家紋、風俗、当時の言葉が分からなければさっぱり見当もつかないものであり、高校の古典教師の教材として使用に耐えるものである。
笑いは世につれ、といわれる。 このCDを聴いて生笑いで終わる、というのは聴く我々が今の世にいて噺の世からずれている証であり、初代春團治がここで生き生きと当時の聴衆に語るのに接するとき、その聴衆と一緒に大笑したいという願望が湧くのはハリウッド映画でタイムマシンを希求するのと同じこころである。
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