- 名前
- ヴォーゲル
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- 74歳
- 住所
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- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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Swimming Pool; 観た映画、 Oct. 07
2007年11月07日 07:44
スイミング・プール
2003年 102分
SWIMMING POOL
監督:フランソワ・オゾン
脚本:フランソワ・オゾン
エマニュエル・ベルンエイム
撮影: ヨリック・ル・ソー
音楽:フィリップ・ロンビ
 
出演:シャーロット・ランプリング サラ・モートン
リュディヴィーヌ・サニエ ジュリー
チャールズ・ダンス ジョン
ジャン=マリー・ラムール フランク
マルク・ファヨール マルセル
ミレイユ・モセ マルセルの娘
2人の対照的な女性の間で現実と幻想が交錯し、謎が二転三転していくさまを、幾重もの仕掛けを張り巡らせミステリアスかつ官能的に描いたサスペンス・ドラマ。監督は「8人の女たち」のフランソワ・オゾン。出演はいずれもオゾン作品に出演歴のある「まぼろし」のシャーロット・ランプリングと「焼け石に水」のリュディヴィーヌ・サニエ。
創作活動に行き詰まっていたイギリスの女流ミステリー作家サラはある夏の日、出版社社長ジョンの勧めで南仏の彼の別荘を訪れる。そこは明るく静かで、誰にも邪魔されずに執筆できる最適な場所だった。しかし、サラがいよいよ仕事に取り掛かろうとした矢先、社長の娘ジュリーが別荘にやって来る。裸でプールを泳ぎ、毎夜男を連れ込んでは嬌声をあげるジュリーに苛立ち筆が進まないサラ。だがやがてサラは、ジュリーの若さと妖艶な振る舞いに強い刺激を受け、いつしか彼女をモデルに物語を紡ぎ始めるのだった…。
以上が映画データベースの解説なのだが、この主演のランプリングに惹かれて見た。 一年半ほど前に同監督の「まぼろし」を観て以下のように印象を記した。
http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/25954882.html
この二つの映画の間には2年ほどの期間が過ぎてランプリングの印象は大きく変わる。 それは前作ではフランスの大学でヴァ−ジニア・ウルフを講じる人妻から当作品では多分今まで結婚は経験しなかったものの恋人をその時々に持ち初老の現在まで一人で推理作家として過ごしてきた、どちらも知的な女性を演じるのであるが、私にとっては前作の状況の方が興味深い。 それはランプリングの男性との関係からくる不安要素が我々の想像力をそのつど刺激するからで、当作でも想像力の働き方は刺激されるに違いないのだが、そのベクトルは推理小説作家に関連して人の死を巡ることに収斂し、それも今回も事故ではあるが、ここでは殺人、失踪をめぐるものであり、まさに推理小説を映画化するそのプロセスが入れ子になっていて意匠としては興味深いものであるのだが、それがかえって筋を追うことの方向にエネルギーを向かわせ、そのことでランプリグを巡っての想像のふくらみをやせ細らせることともなりかねないのだ。
当然ランプリングの印象はオゾンの意図であるのだが、当作も美しい英語を話し、文学を職業にし、多少の性的な接触が期待される初老のイギリス人女性がフランス語が話される環境で起こる人の死、失踪に関する話なのだ。 ここで対照的なのは当作では若い娘が登場し、フランスのクリシェとも取られかねないような奔放な性を目の当たりにすることで自分の老いを自覚するとともにイギリス中流階級の、自由人と自覚しながらもその不自由さを思い知らされ、また、若い娘に挑発されつつその娘に興味をもち、娘の性的奔放を自分の作家的衰えから次作へのスプリングボードにするために昇華させるところでは前作とのあきらかな差異が認められそれがオゾンの新趣向でもある。
これがランプリングがプール近くを散策しているときに娘が脱ぎ捨てた下着を拾い自室に持ち帰り思案する場面である。これからはランプリングは後退して娘が大きく主役に押し出されるのは当然で、その若い肉体と生の萌え立ちに拮抗できるのは人生経験の知であることは結末に至る過程で充分示されるし、けれど結末では娘の勝利が明らかにされる。
オゾンとしてはこの2作で因縁の対決フランス対イギリス2対0の粘り勝ちを作り上げたというところなのだろうが、当作では試合の筋書きが楽勝すぎたきらいがある。 ランプリングファンとしては次作ではランプリングをドヌーヴのような老いてますますセクシーな女性に仕立てあげ手に汗握る英仏戦を作り上げて欲しいと望むものである。
このデジログへのコメント
夢で見るような映画でした(=°ω°=)印象は強い…
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