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- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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刺青 ; 観た映画、 May 06 (7)
2007年06月09日 18:05
刺青(しせい)
1966
86分カラー
監督増村保造
助監督 宮嶋八蔵
脚本新藤兼人
原作谷崎潤一郎
撮影宮川一夫
配役
お艶若尾文子
新助長谷川明男
刺青師清吉山本学
旗本芹沢佐藤慶
権次 須賀不二男
徳兵衛 内田朝雄
権次の女房お瀧藤原礼子
新助の母 毛利菊枝
嘉兵衛 南部彰三
お芳 橘公子
この間ドイツのテレビ、アート局から江戸川乱歩に材をとった「盲獣」という船越英二と緑魔子のものをみたのだが、今度は同じ監督の、谷崎のものである。 脚本を新藤兼人が担当していて後の新藤の「山姥」の官能とは少々種類の違うものに書き上げている。
官能、それは人間の想像力を刺激して喚起されるものであるらしい。 その引き金を強く、また官能を発火させる雷管の役目を果たすのは視覚か聴覚か。 映画では嗅覚、触覚が排除されているゆえ視覚が主に引き金を引かせることになるようだがそれで十分に雷管を叩いてあまた詰まった官能の火薬を爆発させることが出来るのだろうかという一点がここでは問われている。 それが増村のテーマであるらしい。
若尾のファムファタールを配するのは「盲獣」での緑とほぼ同じ構図なのだが、刺青がテーマでその触覚から排除された我々は視覚だけで、すべてを巣に絡めとり奪いつくす女郎蜘蛛に向かうのだが、スクリーンの官能に同調しようとするものには話の展開が少々性急すぎるようで「盲獣」の場合の饒舌と同じく原作の意図するところから逸脱しようとする監督の意図なのかそれとも商業映画の制約に絡めとられたからか判断を付けかねて逡巡するうちに、もう40年ほど前に目を通したことがあったかどうか定かでない谷崎作に戻った。
私事、老母がまだ世界と格闘していた40年ほど前にスカーレット・オハラ作「風と共に去りぬ」の映画化、スピルバーグの「太陽の帝国」で日本軍が「進攻」して混乱する上海租界の街角のビルボードとしてクラーク・ゲーブル、ビビアン・リーの姿を効果的に見せていた当の映画を娘の時に見た中年女性の感想はこうだった。 映画はすばらしく、絶世の美男、美女ではあるけれど、しかし、原作を読んでしまっているので見事な映画であってもしかし原作が頭に描かせたそれにはかなわない、と。 これを昔の人の譬え、シシ喰った報い、とでもいうのだろうかか。 旨いものを一度喰えばその後の不味いものは甘受するしかない、と。
ここでは私は官能を触覚、嗅覚なしで追体験できるかというところで逡巡しているわけで、旨いものにはさまざまな相があるから谷崎ものを極上のものと限っているわけではない。 それはまな板に乗った谷崎の鯛の調理の仕方なのかもしれない。 ただ映画になって谷崎の鯛からは聞けなかった旨みの声を若尾の肉声で聴かれたのが引き金にかかった指をひくつかせたようだし原作には詳しくみられない佐藤慶の旗本も指の助けにはなるのだが引き金の耐圧力はかなりのものだ。
それに23歳の谷崎が描く彫師の悪と官能ははここでは山本に結実しているのか私には判断がつかない。
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