- 名前
- みんきー
- 性別
- ♂
- 年齢
- 62歳
- 住所
- 千葉
- 自己紹介
- いい年ですが精神年齢は若いです。 人つき合いは苦手な内気なおじさん(?)です。 仕事...
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日本の近未来(今日は社会派)
2007年02月12日 01:07
昨日のログに書いたように、大変な3連休になりましたが、私は結局通夜も葬儀もパス、ということで落ち着きました。
でも、その偏屈?な叔父さんの話と、高齢化社会の問題が重なるような気がしました。高齢化社会なんて対岸の火事のような気がしてましたが、なんか急に身近になった気がします。
その感想を以下で述べますが、退屈だと思ったら、いつでも *** まで飛んでください。
年寄が増えるというので、社会が支えきれないから年寄にも相応の負担を、という社会になってきています。今の日本の政策はいわゆる「小さな社会」を目指しているわけですから、それはそれでスジが通っています(賛成かどうかは別にして一貫性があります)。
でも、現実に年金生活の年寄りから見れば、負担は増えるは、収入はないはで、不安がいっぱいです。
定年が伸びつつあるようですが、でも人生最大のボーナスである「退職金」を受け取り、会社勤めもできなくなると、もうまとまったお金を手にする機会はありません。そんな年寄り相手に金を貸してくるところもありません(闇金は貸すかもしれませんが)。
しかも、持ち家にすんでいる場合は負担を増やす、とかいってますが、持ち家の方こそ、何かあったら全額自己負担ですから困ります。借家なら、問題が起これば大家さんにいえば修繕してくれます。でも、持ち家じゃ自分のお金で修理しないといけません。
ましてや建替えなんて話になれば、おいそれとは負担できません。今流行のリフォームだって、数百万は覚悟しないといけません。もう収入が年金しかない世帯にすれば、そんな大金は預金を取り崩すしか調達できません。
で、困るのが、自分がいつ死ぬかわからないことです。車を買い換えるにしても、家を修理するにしても、あと何年持てばいいか?がわかればおよその予算や必要な作業がわかります。
極端な話、まだ少なくとも10年は絶対生きている、とわかるのであれば、車は早く買ったほうがいいし、家もリフォームも念頭において、悪いところはなるべく早く直したほうがいいに決まってます。そして、それにかかる費用はかなり大きいでしょう。
逆に、もうあと5年も危ないだろう、というのであれば、車だってでかいのはいらないし、家の修理も最低限で済ませるでしょう。だからかかる費用も少しでいいはずです。
でも、何かするのであれば、預金を取り崩すしかないわけですから、一種のギャンブルになります。だって、多額の蓄えをつぎ込んでしまえば、残りの預金額は当然減るわけです。その状態で何か保険の利かない災害や、思わぬ病気にでもなってしまうことを考えると、とても心細いことになります。
さりとて、最低限のことしかしないで、10年も20年も寿命があることになれば、結局は「バラで買うよりセットの方が安かった」ということになるはずです。
亡くなった叔父の預金残高がどうもかなり大きそうだ、というのも、ある意味納得できる話で、だって使ってしまえばもう二度と溜まらないお金なのですから、怖くて使えなかったのでしょう。
なんだかんだいっても預金があれば、いざというとき安心です。それに仮に1000万もってたとして、それが500万になったら、急に心細い気がするのは納得できます。
そんわけで、理想をいえば、自分が死ぬ時にちょうど財産がなくなればいいのですけど、そんなのあらかじめ死ぬ日がわかってないと無理でしょう。
だから、現実問題として、例えば、90歳以上の年寄りには、もれなく国が保障する「特別養護老人ホーム」(別名おばすて山?)に入る権利がある、ようにすれば、90歳を1つの目安にできて安心だと思うのですが。
いずれにせよ、今の切捨て社会の発想を変えていかないと、安心して老後を暮らせる時代は来ないような気がします。
そもそも今の現役世代からとったお金を年金としてばらまく制度がまちがっているのだと思います。
同世代が払ったお金を長期運用して、その世代が年金をもらえる歳になったら、その運用結果を、払った額に応じて返せばいいだけです。
その間、同世代で亡くなった人の分は生きている人で山分けするようにすれば、自分が払った分以上はもらえることになります。
そんなこんなで、いろんなことを考えるいい機会になりました。とはいえ、名案があるわけもないのが(あればとっくに採用されているでしょう)、困ったところです。
***
トリビア:有名かもしれませんが、おみおつけ、という言葉は恐ろしいくらいの過剰敬語です。
元々はごはんに添えてつけるものという意味の「つけ」から来ていて、それが丁寧語で「おつけ」になり、それが日常化してくると、「おつけ」の丁寧語として「みおつけ」になりました。
その「みおつけ」がありきたりになってくると、その丁寧語として「おみおつけ」になったわけです。
将来「おみおつけ」の丁寧語もできるのでしょうか??
***
今日の画像はドイツはミュンヘンの中央駅です。ドイツでは DB の表示があるところが国鉄駅です。
日本の駅と違って入場券を買わなくてもホームまでいけます。また、駅構内のお店は遅くまで営業してますから便利です(ただし、値段は街中のスーパーよりは高いです)。
このデジログへのコメント
トリックっていうドラマで「御御御御付け」って出てきましたwネタですけどね。
kaoriさん、コメどうも。
「御御御御付け」なんて読むのだろう?ごおみおつけ?おおみおつけ?
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