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悲しいけど感動した話<洞爺丸>

2012年10月16日 22:40

1954年(昭和29年)
9月26日の夕刻から夜にかけて大型の台風15号北海道を襲った。
当時の青函連絡船[洞爺丸]は最新鋭連絡船で、スマートで美しい船体をしていたので[海峡女王]と呼ばれていたそうですが、その洞爺丸が大型の台風が近づく函館港を出港、青森へ向かおうとしていた。
当時は今と違って気象衛星などなく、観測体制は不十分であった。
このため、北海道に接近しつつあった台風の位置、大きさ、速度を正確に知ることはできなかった。
そのため船長は判断を誤り、洞爺丸を出航させてしまった。
風速五十メートルを超える暴風と高さ十メートル近い荒波に翻弄され、洞爺丸は座礁転覆してしまった。
この海難事故で亡くなった死者の数は1155人、助かった人は僅か160名程で、あの[タイタニック号]に次ぐ、海難史上2番目といわれる程の大惨事になったのです。
その船客の中にアメリカから日本へ伝道のために来ていた宣教ディーン・リーパーさん(33)とカナダから日本に来ていた宣教者のアルフレッドラッセルストーンさん(55)がいた。
午後10時半頃、船内放送で乗客全員に救命胴衣の着用指令が出されると、乗客はパニックに襲われた。
二人は慌てたり泣き叫んだりする乗客をなだめながら、励ましつつ救命胴衣の着用の手助けをしたという。
そうした中で、自分の救命胴衣の紐が切れて着けられなくなって泣き出していた一人の少女を見たリーパーさんは急いで自分の身に着けていた救命胴衣を外しながら冷静沈着に[私よりも貴女の方が若い。これは貴女が着けるべきです。私は泳ぎも出来るし、安心しなさい…]
と、手早くその少女救命胴衣を着けさせた。
またストーンさんも同じ様に救命胴衣を青年に譲っています。
事故から数日後、宣教師から救命胴衣を貰ったという青年と少女が現れて証言しています。
驚くべきことにストーンさんが全く泳げなかったことを、その後に来日した息子さんが語っています。
ストーンさんは大正15年に来日し、昭和初期、野尻湖畔を拠点に布教だけではなく貧しい人達の為に、農村更正と農業改良運動に寝食を忘れて働いたのです。
現在トウモロコシトマトが町の主な作物となっている背景には、こうしたストーンさんの働きがあったという。
息子さんは[生前、困っている人がいれば必ず助けた父だった。船内で父がしたことは少しも驚かないし、父を誇りに思っています]と取材にあたった新聞記者に語っている。
この二人の外国人の愛の行為は、多くの人々に深い感動を呼びました。


自分の命をかけてまで困っている人を助ける。
誰かの為。深い愛に
感動しました♪

このデジログへのコメント

  • sei23 2012年10月17日 10:38

    譲った少年少女が助かっているというところがすばらしい。心からお二人を尊敬します。

  • 管理貞操帯 2012年10月17日 13:04

    50mも吹いていません後で、風速を嵩上げしています。両親の知合家族が、この事件で全員亡くなりました

  • なな♪ 2012年10月17日 23:26

    管理貞操帯さん:そうなんですね

  • なな♪ 2012年10月17日 23:27

    sei23さん:ほんとですね。救命衣余分にあったらどうなってたんだろう?

  • ジム 2012年10月18日 23:47

    地元ですが、この美談は知りませんでした。
    教えてくれてありがとう!

  • なな♪ 2012年10月18日 23:52

    ジムさん:あらこちらこそ有難うございます!

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