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愛さえ抱けぬ、男だなんて・・・

2008年03月18日 01:54

愛さえ抱けぬ、男だなんて・・・

京都の秋が、
深まろうとするその入り口の頃合

70年も古の日、
大陸で戦火に散った
夭折の天才
「偲ぶ会」と銘打たれた、
いかなる人が集まったものか、
おそらく係累はごくわずか、
30人ばかりの規模の宴を終えた
齢八十になんなんとするその老女は

殆どの肉親・親族が鬼籍に入ったいま
直接その謦咳に接した
数少ない証人
たったひとりの姪として、

夥しい数の、
そして数限りなく繰り返されているはずの
ありきたりな問いかけに
呆れもせず疲れも見せずに答え続け

それも皆、故人に寄せられる
熱い思いのひとつひとつに
その記憶の残像
結び付けたいがため
人々の胸のうちに
暖かい血の通う男の姿を
かすかにでもとどめたいがため

そんな思いが、
若くはない肉体をして
語り部の役割を
果たし続けさせていることは明らかで

夜も更け、
そろそろ手持ち無沙汰のウェイトレス
ラストオーダーを取りに入ろうかという時間に
京都の北東部にある御自宅にほど近いホテルラウンジで待ち合わせ
どうしても今日、お話を伺っておきたいと
傍迷惑なお願いをしてしまったのは

ひとえに、ボクが
宿泊費を持たない取材だったという、
身勝手な理屈に基づくことであるにも関わらず
老女はその理由さえ問うこともなく

まだ名乗ってもいない
遠くから近づいて行くボクに向かい
やわらかな微笑みを見せながら

そして静かに立ち上がり
美しい手のさきで
テーブルの向かいに
いざなったのだった。


それかの時間は
あっという間、だった。

彼女の口からつむぎ出された
天才とのエピソードの数々
とりわけ
少女時代海水浴の思い出は
ついいましがたまで
そこで観ていたかのように
生き生きとし、

またその夏の日の
浜辺のように
まぶしさに満ちていて、

メモをとるのが
もったいなくなるほど
ボクはぐいぐいと、話に引き込まれつつ
息苦しいほど鮮やかに
その情景を思い浮かべることができた

その浜辺の名さえ、知らないのに。


彼女の言葉の中核にあるのは、
手を握り合うことこともなく死別した、

認知症に記憶を奪われつつある
かつて銀幕を彩った女優
夭折の天才との間にあった
淡い恋の物語

それが、二年前の 秋の入り口の話・・・



結局、取材は実を結ばず
せっかくのお話を形にすることもできないまま、
終わってしまっていた。


にも関わらず。

そのあまりにも切ない
報われることのなかった
魂の慟哭のごとき
恋の物語を
なんとしても今、
書き留めておきたいと思い始めたのは
わずか一週間ばかりまえ、

名手と呼ばれる作家が記した
天才を主人公とした物語を読み
書き手が高名な作家といえども、
如何にも準備・資料不足
あるいはもっとも足りないのは
書き手の情熱なのではないか、
そんな憎まれ口のひとつも
叩きたくなる
惨憺たるできばえであったから

百歩譲って、その作家の立場を
あれやこれやと斟酌してやるなら、
無闇に登場人物を殺してみたり、
友人に主人公の恋人を犯させてみたり、
そんなドラマのためのドラマ
捏造することには、
目をつぶってやらないでもないものを

なかんずく、許しがたいと思われるのは
病によって記憶を消し去られつつある今もなお
28歳のままで生きる彼を
思い続けているその女性
その男の間にあった、何か、が、
毛の先ほども描かれていない、という事実

いやこれはフィクションなもので、
とかなんとか、反論もなくはないだろう

でもさ、その恋を欠落させた
天才の人物像なんて、
のっぺりしすぎていて。

第一、かなしすぎるでしょ、それ。
いろんな意味で。

愛さえ抱けぬ
男だなんて
恋さえ知らない
女だなんて

消え去るのが惜しいるほど
滅多にお目にかかれない
痛切な恋の物語が
そこにあるのに

物語は
その天才
生身の熱さを
伝えたいのだろうに

だからこそ、
主人公に、
したんだろうに・・・

それぢゃ、人、描けてないって。

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