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あきらめる?・・・もう少しだけやってみる?

2005年11月23日 13:44

今日は、唐突ですが、前置きなしで、

「もう自信がなくなっちゃった・・・」
「このまま今の仕事を続けていいのか分からない・・・」
「これ以上彼のことを追っていていいのだろうか・・・」

そんな気持ちを抱えて、心が袋小路に迷い込んでしまうことは誰にだってあるはずです。こんなとき、貴女は?
さて、それでは考えてみましょうか。

おそらくほとんどの人は・・・決断を棚上げにしてしまう。

実際にうつ状態になっている人には、症状が安定するまでは「辞職」「離婚」などの大きな決断は決してさせない方がいいと言われているそうです。

でも、これは常に正しいわけではありません。

今、突然悩み始めたのならともかく、もしその人が昔からずっと同じことについて、何度も何度も考えていたのならどうでしょう。
それこそ、この「棚上げ」は、その判断をまた保留にして、そしてその結果その人はいつか再び悩み始める事になるのです。

それでは、いつまでたっても苦しみから逃れることはありません。
苦しんでいる人へのアドバイスとして、時には、「今すぐ決めろ!」と追い込むことも必要なのですよ。

もちろん、ただ単に「追い込めば何でもいい」というわけではありません。
「今すぐ決めろ! というようなセリフでは、かえって相手の気持ちを袋小路に追いやってしまうだけ。

そう、こんなときは、こう言ってみてください。

「じゃあ、今決めてみて。
 あきらめる? それともあと少しだけやってみる?」

そう言うことで、その人の気持ちにもう一度エネルギーを送る魔法キーワードになるはずです。

実は人間は、このような二者択一をさせると、なかなか「あきらめる」とは言わないものです。
なぜなら人間には、原始から受け継いできた本能があり、二択というものは、限りなく本能的な部分を刺激するからです。
だから、小泉政権圧勝シナリオにもなったわけですよ。
9/11のログでも確認出来ますよ。

原始からの究極の二択といえば、もちろん「生きるか死ぬか」しかありません。

その場合、ほとんどにおいて生物「生きる」方を選ぼうとします。
そう、あなたが誰かにつかまって殺されそうになったとしても、必死に抵抗しようとしませんか?
決してそこで「あきらめて死ぬ」という選択肢カンタンに選んだりしないはずですよね。

「貴女にとっての夢を完全にあきらめるか、それとももう少し行動してみるか」。

ここで「完全にあきらめる」という選択肢は、それこそそこまでの人生すべての
否定です。
そしてこれから先の未来の自分の希望や欲求まで、捨て去ることにほかなりません。
それは広い意味で、自分の命を捨てるのと同じなのです。
それで、こう言われた人は、今までの悩みが軽くなり、迷いの気持ちが減るものです。
そしてその結果、「もう少しだけやってみようか・・・」と行動を起こすことができるというわけですね。
また、実はこの言葉の順番も重要です。
「あきらめる? それとも、もう少しだけやってみる?」

これを、「もう少しだけやる? それともあきらめる?」
と逆にすると、やや「あきらめる」という方に気持ちが動いてしまいます。

それは日本語には「言葉の重要な部分は、文の末尾に来る」という意識があるので、その言葉を発した人の主張が「あきらめる」にあると感じてしまうからです。

また、「あきらめようかなぁ~」と迷いかけている人間にとって、最初に
「あきらめる?」というように、自分の傾きかけている方の選択肢を提示されると、つい後ろめたさを感じてしまいます。
「え、いいのかな? なんか悪い気が・・・」。

そのときに「それとも、もう少しだけやってみる?」と言われると、その後ろめたさからついそちらを選んでしまうもの。

いずれにしても、このような言われ方をすると、つい「やってみようかな」という
気持ちを湧き上がらせることができるわけです。
そして実際に行動することさえできれば、思考もそれにともなって変わってくるもの。
悩んでいた気持ちも、少しずつ軽くなっていくものです。

これは仕事でも恋愛でも同じ。
「この仕事を今日中に完成させるのをあきらめる? それとも、もう少しだけ
がんばってみる?」
「彼のことを完全にあきらめる? それとも、あと少しだけ頑張ってみる?」

もし貴女の友達や部下やお子さんが悩んでいるときは、有効なアドバイスの1つとして覚えて置いてくださいね。

これはもちろん、貴女自身に対しても使えます。
「あぁ・・・。もうこのままじゃダメかもしれない」
「もう、この仕事をあきらめようか」
「どうしてあの人は私に振り向いてくれないんだ」

そんな風に気持ちがどうしても袋小路に迷ってしまったときは、同じように自分への最後通告ともいえる二者択一を行うのです。

「今すぐにあきらめるか? それとも、それとももう少しだけやってみるか?」

そして同じように頭の中でよく考えてみてください。
ほとんどの場合、「よし。あと少しだけやってみよう」と思うはずです。

そう思えたら、それこそすぐに仕事を少しでもやってみたり、また好きな人に
電話やメールしてみればいいでしょう。
行動さえしてみれば、それに伴って気持ちも楽になっていくのに気がつくはずです。

人間にとって一番恐ろしいのは、あいまいなままに夢を忘れてしまうこと。
よって「これはマズい!」と思いはじめてきたら、その意識があるうちに、
すぐ「最後の二択」を行うことが大切なのです。

「自分でも誰かでも、気持ちが袋小路に迷い込んでしまったときは、とにかく
『完全にあきらめるか? それともあと少しだけやってみるか?』という最後の二択を問いかけること!それだけでエネルギーを湧かせることができる!」

完全な無か、あと少しだけの有か。
それは中途半端な気持ちを持っているのより、よっぽど幸せになれるのですよ。

マリー・ローランサンは、「鎮静剤」という本の
中で、「もっとも哀れな女はどういう女か」について述べています。
 退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女。
 悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女。
 不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女。
 病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女・・・。

このように次々と、より哀れな女が挙げられていきます。
皆さんは、最後に来る「もっとも哀れな女」はどんな女だと思いますか?

詩は、さらに続いていきます。

 捨てられた女より もっと哀れなのは 行き場のない女。
 行き場のない女より もっと哀れなのは 追われた女。
 追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女。

そして最後に、詩はこう結ばれます。

 でも 死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。

この詩が示すように、もっとも哀れな存在は、人の意識からも忘れられたもの。

これは女性に限りません。
夢、気持ち、情熱…。
心の中のすべてについても同じことが言えるのです。

夢が「悲しい」結末に終わっても。
または、いつか夢がハッキリと「捨てられても」。

それはいつのまにか「忘れられて」しまうより、よっぽど幸せなこと。

もし、貴女の心の中に熱い気持ちがあるのなら。
貴女が自分で「捨てる」と決めるまでは、決して目をそらさないであげてくださいね。

さあ、今ここでもう一度だけ聞きますよ。


あなたは、完全にあきらめてしまいますか?
それとも・・・。

お相手は、heroでした。

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