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国旗

2007年05月13日 20:13

昨日シラク大統領から次に引き継ぐフランス大統領選挙移民息子保守的時代の風潮を映して、ヒラリーを抑えてアメリカ自由の女神を送った国の女性初代大統領になるかとそのフランス風を期待したうちの家人の期待を裏切り、165cmで保守的マッチョ、現実的な男が選ばれ、経済優先、保守的フランスの空気を反映している、とニュースで大きく報道されていたのだが、その選挙戦のあちこちでフランス国旗デザインしたものがニュースの背景で多く見られたことで思い出したことがある。

5月5日は日本では端午の節句で、近世からは雛の節句女の子の祝いの日、端午の節句が男の祝いとして祝われていたのに対して、子供の日が国民の祝日となってからは女子も含まれ、能天気男の子が隅に追いやられる風で、それが社会の現在を象徴するようでもあるのだが、異国オランダではこの日は戦争の意味を問う慰霊祭がおこなわれる祭日だ。

第二次世界大戦犠牲者を弔い戦争の意味を考える日でもあるのだが第二次世界大戦だけでなくオランダが関係するさまざまな戦地で犠牲になった兵士、一般人をも弔う日でありその前日、4日の午後八時には二分間の黙祷が捧げられアムステルダム、王宮前のダム広場で行われる女王臨席の慰霊祭はライブで放映される。 学校でも歴史のなかから現在も延々と続くさまざまな戦争の意味を考え、経験を語り続けることが行われており、もう十年以上前に徴兵制度は廃止されたもののオランダ兵は今も中東地域に派兵されており死傷者が出るほどでもあり戦争はいつも身近にある。

私の子供の頃には戦争の影がまだ色濃かったのだが、それは村の墓場墓石に会った事もなく生まれる前に亡くなっていた親戚の叔父たちの名前が刻まれていることや慰霊塔がそれら戦没者の墓を集めた公園にあり小さい頃そこで遊んだ記憶と共に高度成長期以前の戦後がまだ終わっていない頃の記憶につながる。

こどもの頃からの記憶では個人のうちの前に国旗を掲揚するようなことはあまりなかったような気がする。 大抵は学校でなにやかやの儀式の折に講堂の正面に掲げられて校長の話の背景になっていたり、校庭で行われる朝礼の際のプロセスであったりした。

月日も場所も変わって、現在、うちの通りでも祭日にフランス国旗と見まがうような赤、白、青が横に縞になったオランダ国旗をかかげる家がいくつかある。 我が家では今まで国旗を掲揚しようというような話はなかったものの、この日、国旗ポール、それにそれを壁にとりつける金具が私に渡され表の壁にドリルで穴を開け金具を取り付けるよう下命があった。 家人は国旗国歌にたいして若い頃から敬遠するそぶりをしばしば見せてきたものだからこれはどういう風の吹き回しかといぶかったのだが、考えてみると、多分、あと1ヶ月ほどで息子卒業試験が来るからその結果に備えてのことかというところに想像がおちついた。

オランダでは子供が高校卒業試験に通ると家の前に国旗を掲げてそのポールに子供の古いかばんや今ではほとんどの子供たちがつかっている背中に背負うナップサックをぶら下げて、そのうちの子供が試験に通ったこと、これから社会、大学に向かうということを知らせる習慣がある。 すべてがそうするわけでもないのだろうがこの時期になるとあちこちでこれが目に付くものだが、そうすると我が家もぼちぼちそういう時期になったのかと今更ながら感慨も湧くけれど、考えてみると、それでは国旗はまるでふるいカバンの添え物ではないかということになり、母親の情は国家というより子供に向いているという古今東西の常識に想いが至るのだ。 

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