- 名前
- タナケン
- 性別
- ♂
- 年齢
- 55歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 口から生まれてきた?(←ナメック星人じゃないよ(笑))らしく,話したりするのが大好き...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
日本にあるアメリカとアメリカにある日本
2006年05月22日 16:42
1日ぶっ飛ばしちまった…PCの無い生活をしてみました。
アメリカ旅行記を書いていて思ったのが,海外に行っても何か本当に新しいことを学べるわけではない,ということ。
よく,「アメリカ(海外)に行って自分の考え方が変わった」というようなことが書いてあったりするけれど,アメリカにそんな力があるわけではないと思う。
生活習慣とか言葉が違うのは分かるけれど,それによってその人が変わるならば,日本でない海外なら何処ででも変われたんじゃないかと思う。
要は「シガラミ(「私絡み」とでも言うのだろうか)のない世界」であることが大切なのではないか。
周りに自分を知る人間もいなければ,自分が知る周りの人間もいない。
つまり,自分を0から始められる環境があったから,自分の考え方を一旦リセットできたのではないかと考える。
そこは実はアメリカでなくとも,最悪日本であっても成立すると思っている。
いや,日本の方が,言葉が分かるからかえって楽なんじゃないかとさえ思う。
例えば,田舎から都会に出てくるときに,ちょっとだけそんな雰囲気が漂う。
田舎から見れば都会は一種のアメリカ的な要素をもっている。
そして周りに知り合いは殆どいない。
田舎では何かとシガラミが多く,よく,「~さん家の…くんはあの大学へ行った」だの「~ちゃんは…と結婚した」だのと,近隣の人たちには何でも筒抜けみたいなところがある。
これではあまりにも動きづらい。
だから,そういうのが気に入らない輩は,みんな都会に出て行く。自分を0からやり直すために…。
そして,今度は都会に慣れてしまった第2の自分が自分を再びリセットするために,アメリカへと渡るんだと思う。
だって,そっちの方が簡単だから。
でも,どうせ日本に戻ってくるのなら,日本でリセットできた方が良いんじゃないかなぁなんて思う。
よく考えてみると,アメリカでの旅行の間は,「アメリカの中の日本」みたいなところを探していたように思う。
皆さんは,海外に行って考え方が変わりましたか?
このデジログへのコメント
コメントを書く