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坐る

2006年02月17日 06:06

もう若いときのようには座れない、と思った。

ほぼ毎週の黙想を終え、本堂に集まってほうじ茶で手を温めながら談笑しているときにいつもと少し様子が違ったのだ。 

禅堂での黙想では尻の下に丸くて厚みのある座布団を敷き組んだ足のひざはたたみに接するように坐るから後ろの方だけが7,8cm持ち上がっているので背も伸び、長く坐るのには適しているが、1時間半ほどあとで平らな畳の上で普通の座布団に胡座をかくと背中が弱る。 それにそのようにして胡坐をかくと背中が丸まってだらしがなくなる。

考えてみれば椅子に腰掛ける生活で直接このように胡坐をかくようなことはない。 日本の場合であればそれぞれの家庭にはたたみの部屋があるだろうし、会合、宴会、法事等々、この歳になると定期的に機会があるに違いない。 それが私にはないから当然体がそういう姿勢に慣れていない。 畳に坐るという経験さえない。

経験がないと言うのは本当ではない。 この本堂にはもう何年も通っているけれど思い起こせば長く何時間も胡坐をかいて坐っているというのは12月の冬夜の宴会ぐらいなものだが、その折には動いたり飲み食いで姿勢にかなりの変化があるから静かに坐るというのを自覚しない。 日ごろは椅子、ソファーで背もたれが必ずついている坐り方だ。

8つ、9つの時から17,18まで毎週日曜日には活花の師範である叔父から1時間ほど正座稽古を受けたし、高校では寒さ暑さが一番厳しい季節に剣道できたえられ明治時代に作られた講堂の美しい木目の固いフロアーに10分ほどだが正座させられ黙想も経験しているはずでそのころは坐ることに対して何の感概も思いも持っていなかった。 それが普通だろう。

その普通が今は普通でないのがここに記そうと思った素なのだ。

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