- 名前
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- 自己紹介
- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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見たDVDなど Feb. 06 (4)
2006年02月05日 10:57
川瀬尚美 監督 / 沙羅双樹 / 2003 / 99分
会話がいい。それは私が育った自分の地方のアクセントであるし、しかし、それだけならこの間見た「水の女」でも同じ地方の言葉で話されていたあったはずなのに、ここでは会話が自然に流れていく。 ある部分では、これが他の地方で育ったものにこのニュアンスが分かるのかと却って心配したぐらい、それほどきちんとした文章になっていない。 我々が普通に使う必要最小限のとぎれとぎれの言葉の脈絡だったのだから。 そういう意味では語勢も抑揚も無い、また前後関係に説明の無い、それこそ、日常の発話文である。
町と町並み、うちの中が誠に興味深い。 セットではなく人家がそのまま使われていると思われる。 それに、そこは私が2年ほど前に家族で奈良に一晩どまりででかけて、奈良公園を歩き、新薬師寺に参拝し、その後奈良町をぶらぶらと見物がてら歩いた、まさにそこが舞台になっていたのだから、中ほどで町名が出てくるまでに既に見覚えのある家並みであった。 京都や中仙道、飛騨にあるような観光客を取り込むような町並みではない。 関西の田舎のどこにでもあった町並みであってそこの住人中心のたたずまいである。
映画を観てからもう何日も経っているのだが、今思えるのはこの町がこの映画の主役であろう、ということである。 これを観た日本通のオランダ人は、この映画は抽象的で漠然としてよく分からない、と言ったがそれはよく分かる。 その通りだと思う。 逆に、そういう風に思うところが脚本のよさなのかもしれない。
われわれの日常に発する家族、恋人、友人との会話はつじつまの合った説明文ではない。きっちりした説明文は安物のテレビドラマか頭の悪い作家の作り出す作文小説ぐらいなものだ。 でもないかな。
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