- 名前
- nomiya8
- 性別
- ♂
- 年齢
- 80歳
- 住所
- 埼玉
- 自己紹介
- 気持も若い積りだし、身体もそうだと思ってましたが先日忘年会でボーリングをした時、運動...
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決断-3の2(続)
2007年04月18日 17:32
その会社は職業訓練学校だよと陰口が言われる様に、特に技術部は3~5年後に退職し、他の会社に移る者が多かった。だから進入社員の歓迎会の間、何度も送別会があるほどだった。私は密かに新聞の求人案内で転職先を探し始めた。3社程選び履歴書を送り、その後の通知で面接、試験を受けた。その中の一社の外資系で私の要求を全部受入れてくれたので決定した。私の要求とは
1.近い将来、アメリカに行かせてくれる事
2.設計業務をさせてくれる事
の2点で、給料面は現状維持で全然問題なかった。入社後、設計は設計でも今までの会社より数段レベルが低く、同室の人から渡米の可能性も殆ど無い事を聞かされた。
同室の年配の人が私を買被り、彼の昔の会社の同僚が今は部長で優秀な技術者を欲しがっているから如何だとの打診があった。
無論今の会社は辞めようと思っていたが、私の希望は捨てた訳ではなく、その点確認するとOKとの事だった。3ヶ月の試用期間を待たずして次の会社に移った。
入試したのが10月下旬、金一封ぐらいだろうと諦めていたボーナスが満額出され、驚きと同時に感謝した。
初めの会社で隣同士だった人が、ある会社に移り、その会社のお客さんであるアメリカの会社にサポートとして1年程前に渡米した。そして今度そのお客さんだった会社が東京に事務所を開設する事となり、その元同僚が客先の会社から以来を受けて私ともう一人紹介された。私は今会社に恩義を感じていましたので面接を受ける気持はありませんでした。もう一人の人が二人で受けようと何度も勧められ、試しだけでもと思い受けた。先方の求人は一人で結果的に私が選ばれ、そこで提示された給料が現行の倍で、断ろうと思っていた私でしたが気持が動いてしまった。そして直ぐにでも私が紹介者に代わって渡米する事の話も出て両者の希望が合致した。私は一寸ワクワクする気持と何処か後ろめたい気持が入り混じった感じで会社に戻った。部長が傍を通りかかった私を見て「M君、如何した」と声を掛けられた。「一寸」と言いながら通り過ぎようとしたら「よお!本当に如何したんだ」と再度聞かれ、心にあるやましさから「実は・・・」と話してしまった。その時の部長の話で嬉しさで涙を流し、部長の引止めに従った。
2ヶ月程経って帰宅した私のところに父が来て、高齢の為会社から解雇を言い渡されたとの事だった。そこで私にもっと家にお金を入れられないかとの事だった。当時給料の8割り位家に入れてましたので、それ以上は無理で先日断った事が悔やまれた。翌日初めの会社の元上司に訳を話し、何処かに給料の良い会社が無いか会社で人気の無い所で電話で依頼していた。するとその時「M君電話だよ」と同僚の声。電話を取ると何か聞き覚えのある声で「Mさんお陰でチーフはきまったけど、アシスタントが未だきまらないのだが、如何だろう何とか考え直して貰えないだろうか」との事だった。私は渡りに船だと思ったがそれを押し殺し再度会う事になった。私は飛び上がるばかりに嬉しかったが、それと同時に親切にしてくれた部長を裏切る事への罪悪感も大きかった。
何年たった今でもこうして書いているだけで目頭が熱くなる。
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