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今何処(いまいずこ)-N O編

2007年04月13日 17:28

私が高校の就学旅行の時だった。私達の1年前から行き先が九州から東北になった。その頃既にたの私立高校では海外への修学旅行も始まっていたが、我々は公立で行程の時間制限もあり国内でした。
集合は上野駅で母が一緒に連れて来た。無論私一人でも上野へは問題なく行けるのですが学校からの要請父兄の引率を必要とした。出発は夜で夜行列車、とは言っても寝台車ではなく通常の列車だった。何処で降りたかは記憶に無いが日本海側だった事は確かで、そこからバスで奥入瀬渓谷に沿って走った。十和田湖に出てそこから又バスで秋田の大湯温泉での一泊目だった。
翌日は中尊寺から松島。そこで2泊目して翌日は船で松島周りと瑞巌寺。そこが最終の場所で又夜行列車での帰京となるが、列車の時刻までは自由時間で松島の海岸に面した土産物店の立ち並ぶ所に居た。その中の一軒でお姉さん風の女性と級友達が談笑していて、私も傍に行って一緒に話をしていた。その女性はとても気さくで大分永い事話をしていて集合の時間が近付いた。私は自分のカメラ彼女と級友達を撮り、私も撮って貰って別れを告げた。
1週間程たち写真が出来上がったので彼女が入っている写真を聞いておいた住所へ送った。
暫くして彼女から「写真と手紙有難う。今までM君と同じ様に旅行に来た生徒と何回も写真を撮ったけれど、送ってきてくれたのはM君だけでとても嬉しかった」とあり「私の叔母が東京に居るので時々行くから、その時に会おうね」と書かれてあり、快諾の返事を出した。
それから一ヶ月程してからだろうか、彼女からの知らせでX月X日に行くから来れるかとの問合せがあり到着時間も書かれてあった。当日昼食後学生服で家を出て上の駅へ向かった。初めての彼女からの返事も母から手渡されたので、その事は母も知っていた。
定刻より大分先に着いて、改札から人並みが現れる度に彼女の姿を捜し求めていた。
何回目かの人並みの中に彼女らしい女性を見付けた。彼女は白のスーツと同色のタイトスカート姿で、手には小さな水色のスーツケースと色いハンドバックを持っていてすらっと背が高く素敵だった。
私はこれから如何なるのかなと考えを巡らしながら近付いて来た彼女と挨拶を交わし
彼女スーツケースを持って並んで歩き出した。「M君この辺に喫茶店ある。そこでコーヒーでも飲みながら話しよう。叔母さんのところへ行くのに少し時間があるから」と言われ私は何か体の中の力が抜ける様な感じだった事を今でも覚えている。
無論未だ私は未経験だったし、如何すると言う考えも無かったが、何か別の事を期待していたのかも知れない。
その後も2,3度会ったが、彼女と私は姉と弟の様な関係だった。そして暫く会う機会も無く、私は渡米し帰国後結婚と、慌しく過ぎた。両親と別居後少しして家内が「たまには練馬(両親の事)に行ってきたら」と言われ会社帰りに一泊した。翌朝帰り際に母から一通の手紙が差し出されて。懐かしい見覚えのある字だったので、直ぐに彼女からと解り読まずに背広の内ポケットにしまい会社へ行く途中で封を開けて読んだ。文面には特に変わった事は書かれてなく久し振りに会おうと言う事だったがただ今までとは違い到着は夕方だった。
当日終業と同時に会社を出て上野に向かった。何時も同様挨拶した後で彼女は「今日は直ぐに叔母の所に行かなくてもいいの」
と言われ私はタクシーを止めて日比谷公園と告げた。車内でも余り口をきかず、何時もの彼女と違うのに気付いたが、私から聞くのには躊躇いがあり口数少なく車は日比谷公園に着いた。
ベンチに並んで腰を下ろし「Nちゃん如何かしたの」とついに尋ねてしまった。
「私は一寸前に結婚したの、でももう別れる事になったの」と言いながら彼女の顔が急に曇ってきた。私は無意識彼女の肩に手をかけて引き寄せ唇を合わせた。
彼女の顔からそれが彼女の意に反しての事と解ったからそれ以上その話は止めて、歌を歌ったりして時間が過ぎた。
 続く

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