- 名前
- nomiya8
- 性別
- ♂
- 年齢
- 80歳
- 住所
- 埼玉
- 自己紹介
- 気持も若い積りだし、身体もそうだと思ってましたが先日忘年会でボーリングをした時、運動...
JavaScriptを有効にすると、デジカフェをより快適にご利用できます。
ブラウザの設定でJavaScriptを有効にしてからご利用ください。
動機-その1(脱サラ編)
2007年04月03日 18:26
私が起業する前の会社は外資系商社で本社はアメリカ、ニュージャージー、そこで技術として勤めてました。私が23歳の時その会社が東京に事務所を開設する時で、知り合いがその会社のトップに私を紹介してのスカウトの形だった。当初その前の会社に義理もあり直ぐには退職できず多少遅れはしたが、私がその会社の始めての技術でしたから一応古参になります。その頃は日本の経済も多少インフレ状態で、頑張れば上司が認めてくれて昇給もうなぎ登りの感がありました。直ぐにアメリカ赴任し、帰国後少しして香港事務所の開設で赴任したりで、私に限らずスタッフ全員が一生懸命だった。次第に社員も増え、にゅうしゃご10年目で再度香港に赴任し、5年後帰国した私の目には生温くなってしまっていた日本の事務所が腹立たしく感じた。3人で2人分の仕事、いや2人で1人分の仕事をしている様な感じさえしました。私の良き理解者だった上司は既に退社しており、私一人では建て直しも不可能に思えました。当初一緒に頑張ってきた支社長も高齢になり、その頃は波風を立てない様にと言う風潮でした。
事実私は辞める決心が付いた頃、その点を正しましたが答えはNOでした。そして私は家内に辞職し起業したい旨話すと、その答えもNOでした。そこでこのサイトのウラデジログで投稿されていて興味を持って拝見させて頂いたさゆりさんとご主人とのケースを読ませて頂きました。無論その時の家内の心配とか不安は十分に理解していました。起業してからの収入は全くの未知数で無論期待的な予想はありましたが、それはあくまでも理想論で今まで一介の技術者で経営の経験も無い初めて起業ですから未知数だらけであった事は間違いありません。然し希望に燃えている本人には良い予想しか浮かばずめくら同然ですよね。そして私が決断を強いいる最後の言葉として「これは俺の男としての最後の浪漫だ、もしこの期を逃したら二度としないだろう」これに対し家内からは次の言葉はありませんでした。でも起業後直ぐに見舞ったバブル崩壊でどん底まで落ちてしまいましてけれど。
このウラログへのコメント
コメントを書く