- 名前
- nomiya8
- 性別
- ♂
- 年齢
- 80歳
- 住所
- 埼玉
- 自己紹介
- 気持も若い積りだし、身体もそうだと思ってましたが先日忘年会でボーリングをした時、運動...
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結婚から今-結婚までの経緯--求婚 1
2015年06月15日 12:52
彼女とは週一回位のデートでしたが大体雰囲気の良い喫茶店でホテルには一度も行ってなかった。
デートの約束をする為数日前には必ず彼女に電話をしてた。その度毎に「やっぱりMさんとは結婚は出来ない」と涙ぐんだ声の返事だった。
そして会うと直ぐにその結婚出来ないと言う話から始まり、私の長々とした説得で数時間後には納得してから別れるというのが何日も続きました。
彼女の実家は熊谷で5人兄弟の真ん中で、勤め先の関係で実家を出て赤羽の叔母の家に住んでいた。
卒業と同時に実家を出たから料理とか家庭生活に関する事は一切経験なく、それと兄弟の真ん中で多少気の強い所も自覚していて、その事がどうしても私の両親との同居に踏み出せなかった。彼女の性格を良く知る彼女の両親からもその様に諭されていた様だった。だから毎回私と会った時に決意した結婚の事が
次のデートまでの約一週間の間にぐらついてくる。
その年の12月に入り、私の渡航予定が1月末頃と会社から知らされた。
そのすぐ後のデートでその事を伝え、反対している彼女の両親に会って了承を貰うと彼女に言った。
数日後彼女との電話で年の瀬も足詰まった頃(はっきりとは覚えていないが12月28日頃だったと思う。
時間もはっきりと覚えていないが、その日の昼過ぎ頃だったと思う。
彼女とは池袋で待ち合わせ、昼食をしながら彼女の両親の事の概略を聞かされていた。
彼女に連れられ彼女の実家の玄関前に来た時、一度深く深呼吸をした様な覚えがある。
初対面だし、事が事だけに多少の緊張感はあったがドキドキした気持ちはなかった。
彼女の後に従い居間に通された。今と言っても家族が全員で食事をする和室で、真ん中には少し細長いテーブルが置かれてて入口に近いテーブルの長い辺に彼女と並んで座った。
私の右隣の短い辺に彼女の父が、体面に母が座って待っていた。
彼女から両親に私を紹介され、それに従いそれぞれに挨拶をし、後は俎板の鯉の如くこれからされるであろう話を待っていた。
その間10分位だったか、私にはもっと長く感じたが彼女の母からは時折差し障りなない様な話が時々あるだけで、彼女の父はずっと無言のままで何となく重苦しい空気の中だった。
彼女の母が台所に向かい、数分すると彼女の父もその方へ消えて行った。
彼女と私は無言でただ目を合わせるだけ。
4,5分位経った頃、彼女の母だけが戻ってきて元の位置に座った。
顔には笑みがあり「良かったね ! Mさん」と言っただけだったが、それが意味する事は直ぐに理解が出来彼女の目からは涙がこぼれ、肩が波打ちだした。
彼女の感情が少し収まってから目の前の母に「有難うございました」と言い頭を下げ、姿の見えぬ父に向かって「お父さん 有難うございました」と言い「でわ失礼します」と言葉を残し彼女と家を出た。
彼女に熊谷駅まで送られ、駅で彼女を抱きすくめ軽く口付し一人帰路に着いた。
年明け2日にどちらから言い出したか定かではないが明治神宮に二人で初詣に行くことになった。
当日予定より早く彼女が彼女の親友の姉の美容院に来て訪問着を着付けて貰った。
我が家からはバスや電車で1時間半程かかる明治神宮まではとても長く感じた。何しろ彼女も成人式以来だろうし、私は触ったこともない和服だから途中で崩れたら大変だと心配し通しでした。
明治神宮で人並みに従い少し歩いた頃「何となく帯が緩くなったみたい」と彼女が言った。
それからは私が彼女の後ろ側の帯の所を押さえながら歩いた時の事が鮮明に蘇ってきました。
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