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- もう海外在住29年、定年もそろそろ始まり、人生のソフト・ランディング、心に浮かぶこと...
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五条霊戦記 GOJOE: 観た映画 Feb. 07 (4)
2007年02月20日 11:32
五条霊戦記 GOJOE
2000年 137分
監督 :石井聰亙
助監督 :藤江義正
脚本 :中島吾郎石井聰亙
原案 :石井聰亙大崎裕伸諏訪敦彦
音楽 :小野川浩幸
配役
遮那王 : 浅野忠信
鉄吉 :永瀬正敏
武蔵坊弁慶 : 隆大介
湛塊 :船木誠勝
平忠則 :岸部一徳
朱雀法眼 :國村隼
阿闍梨 :勅使河原三郎
朝霧 :粟田麗
芥子丸 :細山田隆人
剛人 :成田浬
少進坊 :鄭義信
聖 :光石研
中途半端な映画だ。 歴史ファンタジーのジャンルに入るのだろうか。 3年ほど前に帰省したとき京都の友人と辻清明神社の前を散歩していて数年前まで寂れていた神社が一時のブームで吹き返し友人の娘も巫女としてアルバイトで潤いおどろいたといっていたのをこの映画で思い出した。 のろい、護摩焚き、あまたの呪術空間で敵味方が通じ合うのだ。 まあ、1000年になろうかともいうべき時代背景なのだから何をやってもいいのだろうか。
子供のころから役行者にゆかりのある中学校の同級生ともいうべきものが住職を勤める修験道の寺で、そこには現在も家族がもう何十年も月参りをするようなところで子供の頃から渓谷つたいの聖域を経験しているからこの護摩、加持祈祷の様子はわかるもののこれでは漫画、劇画、軽量級今様歴史ファンタジー小説の映像化ではないか。
夕食後のワインの効果もあるのか暗く不透明な映像の中で3,4回こっくりしそうになった。 2000年当時のCGではこのように武者が鬼か悪魔に首を切り落とされて惨めな血飛沫が赤い噴水になり飛び散るお粗末さなのかとあきれたのは2箇所だけではなかった。
末法、陰陽道、義経伝説にしても荒唐無稽だ。 蝦夷からモンゴルにわたりジンギスカンになったというものも事実としてあったが、それに影武者のひねりを利かせて弁慶と義経を戦わせるというものだが、結果がお粗末なような気がした。 結局、映像効果と殺陣をみせただけだったのかもしれない。
殺陣で思い出したのだが、私がまだ幼少の頃、近所の叔父さんに連れられてちゃんばら映画を見たのだけど、それは印象深いものであったものだが中村錦ノ助、後に萬屋と姓を変えて子連れ狼を惨めに演じた役者が、源九郎と名乗り変幻胡蝶の舞を宮本武蔵の二刀流かと流麗に駆使して当時まだ出始めた頃のカラー大スクリーンの青をバックに白い衣装が印象的だったことを本作、浅野の二刀流を見て思い出した。
1962 源氏九郎颯爽記 秘剣揚羽の蝶 / 制作:東映京都 役名:源氏九郎初音の鼓
というのがクレジットにあるがそれでは私の中学生以後の鑑賞となるのでこれには観たという蓋然性がないので、この作より前の57年、58年のものを観たではないかと感じる。 これらも本作の参照映画となっているのだろうか。 香港や中国の映画のこのようなジャンルではクリシェとなっている殺陣の様式があるがここでは闇の闘いが中心になっており白日の下でのシーンは少ない。
今時の若者には、一時的にせよ、漫画経由の映像に興味を引くものがあるのだろうが、昔から、京の五条の橋の上、、、と今もその橋に八艘飛びかと見まがうブロンズ像があり、そのそばを歌って眺めてきたわれわれの弁慶、牛若丸の話が本作になったのなら書店の棚にこの20年ほど増えたこのジャンルのパルプ文庫本の映像化として納得はいく。 それに勅使河原と、私事、昨日もイーストウッドの硫黄島玉砕を主題にした映画でまたもや好演したとオランダの高級紙に写真入で紹介されていた渡辺謙と見まがう 隆大介の演技に観るべきものの収穫があったと記すべきだろう。
台詞に関しては、過去の時代劇映画にはいくら模造の歴史的言葉遣いが蔓延していたとはいえその擬似日本語に慣れてきたものにとってはどうしても本作の現代語に浸りきれないものがある。 これが我々のような年寄りでhなく20代をターゲットとしたものであるのなら納得がいくがそれではここでこのDVDを選んだ自分は大きな誤ちをしたという自覚しか湧かない。
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