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(続)風呂

2007年02月01日 10:16

昨日のくしゃみも風邪にはつながらずノロウイルスもこちらにはいないようで何よりだったのだが、その湯冷め、ということで思い出したことがある。

なんせ、1950年代の農家で育ったものだからそのころの農家に多いように風呂、便所は母屋から離れたところにあり、そこへは柿の木や石組みがいくつかある上に乗った松の木が植わった小さい庭を廻って用を足しにいく。  農家では自給自足を基本にしているので大小便はただ穴の開いた汲み取り式の便所であり、一定の期間の後、家の男がそれを肥え桶に汲み取り担いで畑や田のヘリに掘ってある野に運び、ある程度そこで発酵させてから肥料にしていた。 小学校への行き帰りには田んぼのヘリを縫って草花や小動物を追って遊びながら通ることもあるので時にして不注意にもそういうところに足を踏み入れる阿呆がいてそれを笑いものにするようなこともあった。

雌鳥につつかれながらも鳥小屋からまだ温かみの残る新鮮な卵を毎日食べるためには田畑の溝に沿って生える、うちのあたりでは牛の舌と呼び習わしていた青草を手に余るほど摘んで帰りそれを米ぬかに混ぜ牡蠣の殻を金槌で粉にしてものを加え、5,6羽の鶏に与えるのも何日かに一度の子供の仕事だった。 それで法事や何かの折には家の男がそのうちの一羽を締めて解体し間を措かず皆の鍋の中に入るのも普通のことで小さな子供の自分もその一部始終を興味深く眺めていた。

秋の収穫も終え乾された稲穂から脱穀して残った籾殻、藁束の余りを風呂釜の火口に放り込み裸電球オレンジ色の下、五右衛門風呂の浮かんだ木の底に乗っかりズブズブと自分の体重でそれを沈め秋の透明な冷気の中で風呂の温かみを味わうときに木の風呂桶の周りから立ち上る薄い煙のなかに漂う籾殻と黄金色の強い藁の燃える香りは一生忘れられるものではない。 その豊かさは今のガス釜やセントラルヒーティングで賄われる風呂とは全く無縁のものである。 一種、良質の葉巻、もしくは遠くで誰かが吸うマリファナの香りを想わせるようでもある。 時には火口の家族と湯の加減を巡ってやり取りがあり、そこで収穫のあった薩摩芋を籾の中に埋めて焼き芋にすることも楽しみなことだった。 その火口の調節にしても大家族とは行かなくても中家族のそれぞれが湯を使うときにはそれぞれが交代して湯の加減を問いに行くこととなる。

現在のような蛇口をひねったりスイッチ一つで事が済むような風呂ではなく、雨の日にも寒いときにも火口で顔を火照らせながらも背中は冷えるようなこともある。 大抵は玄関から走り出て庭を横切り火口に走り用事を済ませるのだが、まだ小学生になるかならないかの時には闇夜の中を風呂に走る子供には柿の木にぶら下がった妖怪変化に捕まらないようにとの弱虫の孫へ笑いながら語る祖父の注意に眼をつぶってその恐ろしさに走ったものだ。

けれどそういう風呂も専業農家がやっていけなくなる60年代になるとガス風呂となり裸電球蛍光灯に取って代わられ大きく様変わりしたし現在の様子とほぼ隔たりはない。 それにそのころの大都市近郊の村の様子ももう百姓は村の中でも二軒ほどを残して皆それぞれ兼業農家、日曜農家となる。 

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