- 名前
- 一遍
- 性別
- ♂
- 年齢
- 59歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 東京都在住の普通のサラリーマンです。音楽や映画等アーティスティックな物が好きですが、...
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個人的なはなし
2008年07月13日 04:33
1983年のこと。
家の事情で僕はお寺に住んでいた。中味は今と変わっていない
ただの音楽好き。
「なあSさん。今度**でライヴがあるからその日は晩飯食べたら抜け出して見に行ってくるから上手いことやっといて(笑)」
お寺の生活と言っても学校が終わってから掃除があるから遊びに行けない、うるさい先輩がいる位の事を我慢すれば楽しい思い出
の方が多い。ただ僕の場合はおじいさんがその宗派では「顔」
みたいな人だったので寺に入っていきなり御上人の御付きに
された。その場合はちょっとややこしくて夕食後~就寝までは
部屋に張り付いていないといけなかった。
当然ライヴに行くには抜け出さないとだめなのでそんな時は
よくSさんに頼み込んだ物だった。
2000年のこと。
僕はそのお寺にいた。久しぶりに入った空間はやはり心地良かった。
僕は今でもそこが大好きだ。
偶然にもSさんが中老(会社でいう管理職みたいな人)で戻っていた
ので顔を見せに行った。今日の読経を担当するらしい。
「お久しぶりです」
「おお 元気だったか?今日はお前が来ると思ってたよ」
「今日は大役ですね?」
「そうだけど、この役おまえがやった方が良いんじゃないか?」
「ははは。もうお経忘れました」
「Sさん覚えてるかな?どんとの奥さんは僕がよく見に行ってた
ゼルダのメンバーだった人」
「そうか。。お前は色々見に行ってたからな。覚えてないな」
こんな感じのやり取りをしていたのを覚えている。
この日は「どんと院まつり」の日。ハワイで亡くなったどんとを
彼が沖縄移住前に住んでいた町の、好きだったお寺で(僕はこの事は知らなかった)皆に見送ってもらうという素晴らしいイベントだ。
1988年のこと。
ローザ・ルクセンブルグを解散させて、どんとはボガンボスを結成。
初めて見たのがこの年。凄かった。全く無敵状態。その後は殆んど
追っかけと化していた。僕はボウイやバクチクのようなバンドは
馴染めなかった。あの鋭角的なビジュアルはうそ臭かった。
その点でもボガンボスは僕の志向とぴったりだった。ぴんと張って
いながらもその角は丸かった。かつとてもスピリチュアルだった。
sさんの読経が終わり、静まり返ったなかでライヴがスタートした。
どんとのベストCDに「一頭象」というタイトルの物があります。
これは彼が亡くなる前に自分で編集してあった物をそのまま
CD化したと記載があります。その解説で奥さんのちほさんは
(あだ名がちほさんといいます)あの世とこの世を行ったり来たりの歌
ばかり云々といった事を書いていますが、本当にその通りで
これは殆んどの人が亡くなって気がついた事だと思います。
その解説には「どんとは全てを知っていたのではないか」と
結ばれています。この辺りの不思議な話しはまだあるのですが
今日はこの辺で勘弁してやるわ(笑)
画像はアメイジング・グレイスの替え歌から始まって
名曲「あこがれの地へ」と続きます。
これもとても不思議な歌詞なのです。
どんとの法名(この宗派の呼び名。一般的には戒名と呼ばれます)
は 呑音院爵隆昌 「呑音」というのがとても「粋」だと思いました。
https://jp.youtube.com/watch?v=nzj5Y8cwv_o
このデジログへのコメント
遊行寺の追悼ライブ行かれました?私は後期のボガンファンですが昔の曲いいですよね。たまにビデオ見てます
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