- 名前
- 前向き思考
- 性別
- ♂
- 年齢
- 54歳
- 住所
- 大阪
- 自己紹介
- 人生は元々「機会不均等」なものです。その中で如何に自分自身ベストを尽くすかを昔から求...
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久しぶりに徒然なるまま
2007年12月06日 00:18
昨日は某社の一次面接に行ってきました。殆ど私の経歴に関する質疑応答に終始しましたのでここでは何も書くことがありません。
ところで私がMIXIで宮崎のある方とやり取りするようになりました。その方との会話の中で、一つ引っかかったことがあります。
某空港で、車椅子か体が不自由か、何れかの理由で階段を上りづらくされている方がいて、そこにたまたま茶髪の兄ちゃんが数名通りかかったとの事。てっきりそのまま素通りするだろうとその方は予測していらっしゃったようですが、あにはからんやその兄ちゃんたちが(確か6名)一致団結してヘルプしたとの事。しかもそのあと彼らが、「いいことをした」と言い合っていたという様子を傍からみていて、人は見かけによらないな、と言う印象を持たれたようです。
私も駅でボーっと立っているときに限って、次の電車でどこそこには行くことが出来るんですか?と聞かれる機会が結構多い。それはそれなりに応えるんですけど、普段はあんまり愛想のいい表情をしていないのでそういうことは少ないですね。かつ例えば混んでいる車内で自分が座っている時に目の前にお年寄りが来られた場合、必ず譲るか、大概書類か本を読んでいることが多いので実はしていません。といいますか大阪の電車は特にそうなのですけど7人かけの座席で6人、下手すれば5人で座っているケースが多いので、少しつめれば座れます(それくらいはします)。関東でそれこそ詰め込み電車を4年利用してきた身にとって、大阪の電車は「隙間が多い」と思いますので、で特にお年を召されていると小柄の方が多いので、少しお互いに席を詰めるだけで十分その方に席を空けることは出来ます。でも誰もしようとしないのですね。
何だか自分を良いように言っているだけに聞こえますよね(多分そうだと思う)。言いたいのは、必要なことをせずして安易に自分の権利(今まで座っていたのですから)を譲るだけが美徳なのか、ということです。でなくて、お互いに少しずつ譲る=負担することによって新たに権利を「情勢」出来るのだという発想になってほしいということです。一人だけが席を譲ってほかの方は知らぬふり、では余りに不公平でしょう。言い方は悪いかもしれませんが、譲る際にはその場所で権利を持っている権利者が均等にそれを負担することで、新たな権利を発生させるのが賢いやり方ではないかと思います。関東の電車では、座席の間にステンレスのポールが入っているので、いやでも7人がけになるのですけど(笑)
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