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六代目笑福亭松鶴、「蔵丁稚」を聴く
2007年12月02日 08:05
てんこもり! 六代目笑福亭松鶴 全集
NHK CD ANOC 7002
第二巻
蔵丁稚 1973年4月26日 ライブ録音 25分39秒
師走に入りこの時期になると子供のころが思い出される。 60年代前半、テレビの勃興期、バター臭いバラエティーショー、シャボン玉ボリデーを毎週楽しみに見ていた。 多分これはアメリカのテレビショーのフォーマットを持ってきたのだろう、軽快なジョーク、歌手、タレントたちがテレビ作家の作ったジョーク、寸劇を交えて横文字の歌を歌い、そこでは渡辺プロ所属のタレントが満載で、先日亡くなったクレージーキャッツ、植木等の「こりゃまた、おじゃましました」などのギャグが日本中を笑わせて流行語となっていた。 この時期にはバター臭い日頃の構成が「忠臣蔵」のギャグで年末を迎えるような何年間があった。 さらに、テレビが映画を抜き去る前の日本映画の黄金期、映画スターという横文字があたらしい、役者が映画俳優になりブロマイドが色々なところで見られたその有名俳優総出演の豪華版「忠臣蔵」が年末に上映され大きく暗い映画館の空間を人で一杯にするような時代だった。
そしてNHKの大河ドラマの初期、一年かけて「忠臣蔵」がテレビで放映されるようなこともあり日本人は忠臣蔵が好きだといわれていた。 数年前、オランダの蘭日協会でも忠臣蔵を巡ってシンポジウムがあり外国人日本研究家たちからさまざまな分野で興味深い報告がなされたくらいだ。 曰く、日本人には忠臣蔵が欠かせない、と。
それは本当なのだろうか。 忠臣蔵は今の若い人たちの間で共通の話題となりえるのだろうか。 多分なりえないだろうと思う。 或る時期には年末に忠臣蔵が上演されるのが恒例になっていたことがあるが、「五段目」に代わって現在ではベートーベンの「第九」がこの時期に日本中で大衆参加コンサートとして公演されるのが恒例だと聞いている。
50年代生まれの私達でもなんとか話の粗筋はなぞれても歌舞伎の忠臣蔵となると四段目、五段目、というようなところは数寄者でないと話せない。 しかし、戦前まではこれが世間の常識となっていたのだろう。 前置きが長くなってしまったがこの「蔵丁稚」はそういう世界を前提ににした噺である。
商家の旦那と丁稚のやりとりがなんとも愛らしい。 あまりの芝居好きの丁稚を懲らしめのために蔵に閉じ込めるのだが、丁稚の言い訳、言い抜けを誘導尋問から逆手にとる。「五段目山崎街道」の猪を前足、大阪、河内屋、実川延若、後ろ足、東京、高麗屋、松本幸四郎がやるのだといい、いくらなんでもそんな「阿呆」なことはない、と丁稚が見てきたことを吐露するのだが、ここで丁稚が「計ろ計ろと思いしが、却ってチャビンに計られた」と芝居気のある台詞を吐くあたりから俄然、芝居の雰囲気が漂いそのごの見事な芝居の世界の幕が落とされる。
この全集の解説小冊子に棚橋昭夫氏が記しているのだが、六代目は自身の丁稚時代に道頓堀の芝居の幟を見ながら、自分も役者になりたい、という想いがあり、それがこの丁稚のこころに自分の若いときの自分を重ねているのだろう、と書いている。 ここでの噺の構成、語りは重層的である。 芝居好きの子供が語るときは子供ではあるが、ひとたびこの子供が芝居を始め、4段目、塩谷判官切腹の場では見事な歌舞伎の舞台を現前させる。 こうなると語るのは子供ではなく六代目の芝居である。 間に丁稚が感想やト書きを短く言ったりするのだが主役は六代目自身で芝居の世界である。 判官切腹の見届け人ふたりのうち薬師寺次郎座衛門の台詞を語る六代目には完全に役者になりきった所作、ぎょろりとした眼差しまで見えるようでその声色にゾクゾクした。
解説にまたこのように書かれていた。 小学校に上がってもいないような幼い丁稚がなぜ芝居に詳しいのかというとそれは、芝居が好きな大阪商人はいろいろな芸能を楽しみながら商売に利用し寄席、芝居などは一般教養なのだといい、丁稚が奉公に来て一年ほどになると旦那が番頭に「あのこ、そろそろ寄席へ連れていってやりなはれ」と言うことがあり、それは単に娯楽のためだけではなく、芝居や寄席は社会のなかで人間との接し方、挨拶の仕方、酒席の作法、敬語の使い方、祝儀の出し方、くやみの言い方、つまり、社交の教材となるからなのだそうだ。 物事の吸収が早い幼い丁稚の入れ込み方がおもしろいところであり、まさに六代目の「定吉」どんは六代目自身と幼い六代目の入れ子構造に演じられる熱の入った噺である。
幼い定吉どんが蔵に入れられて、夜中になると豆狸(まめだ)が出てきて臍をねぶられる、と脅される恐ろしさは子供のころに悪さをして押入れや蔵に押し込められそうになった経験のあるものには定吉ドンの哀れな「だんなはん、だしておくれやすな、、、」は他人事ではないのである。









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