- 名前
- 純生くん
- 性別
- ♂
- 年齢
- 59歳
- 住所
- 東京
- 自己紹介
- 心の病気で引きこもっており、ほとんど外出もしてません。 デブなおじさんに興味のある方...
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平穏な日曜日
2011年04月03日 15:43
今日は不安な気持ちが和らいで、とりあえず一日を過ごすのは苦ではない状態になりました。
もちろん全ての不安が払拭されたわけではなく、不安に囚われ続けることがなくなったと言う方が正しいでしょう。
たまに流れる原発のニュース。
不意にやってくる余震と思われる揺れ。
こういったもので、心はまた沈んでしまいます。
それでも幾分でも、それらの不安と生活を切り離すことができていることは有難い。
病院で増やしてもらった不安を和らげる薬が効いたのか、単に気持ちが麻痺してしまったのか。。。その辺は区別はつきません。
ただ、自分的な感覚ですが、あれほど各テレビ局が競うように報じていた震災報道、原発報道がパタリとその数、費やす時間を減らしたような気がするのは私だけでしょうか。
確かにいろいろな面で、日本も前を向いて歩き始めなくてはいけないし、それはそれで悪いことではないと思うのですが、何か各局が足並みを揃えて行動をともにしているようで気味が悪いのです。
皆、どこからかの指示があった?
それとも他の局の様子を伺いながら、足並みを揃えた?
震災報道は震災報道、原発の事故の経過にしても、それを報道し続けるマスコミがあってもよいのではないでしょうか。
それでこそ見る側に選択させればよいだけで、何故足並みを揃える必要があるのでしょう。
やはり視聴率との関係でしょうか。
このままでは、あっというまに震災報道が風化してしまうのではないかと言う、今までとは別の心配が私の頭に浮かんできました。
この国は良くも悪くも右向け右、左向け左の傾向がある気がします。
もちろん全てがバラバラの方向に向かっては、国の呈をなさなくなってしまうと思いますが、やはりわが道を進むといった姿勢の人が、組織があっても良いのではないかと思います。
そして、それを受け入れられるような土壌も。
私自身の思いが漠然として、整然とした文章ひとつ書けていませんが、今日の雰囲気は、別の意味で私を不安にさせます。
考えすぎでしょうか。
安心した生活を送りたいという気持ちを持ちながら、決して危機感を失くさず、被災地のことにも思いを忘れない。
そんなバランスの良い考え方をしていかなくてはいけないと思うのですが。
まぁ、私個人がそれを失くさないようにしていくことが、まずは先の話になるのでしょうが。
心が和らぐことで、罪悪感をふと感じてしまっている日曜日です。
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