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- 東京都在住の普通のサラリーマンです。音楽や映画等アーティスティックな物が好きですが、...
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スマイル
2008年08月31日 01:09
ビーチ・ボーイズの不幸はパブリック・イメージとブライアンの
才気の落差に原因がありました。
ご存知のように彼らはフォー・フレッシュメンのようなコーラス
とチャック・ベリー等のロックン・ロール、フィル・スペクター
の分厚い音でデコレーションされた新しいタイプのポップス
の最良の後継者でした。
兄弟や従妹でほぼ固められていて、声質が似ているため、奇跡的なブレンドが生まれたと言われています。
少し遅れて英国からビートルズがデビューし、アメリカ本土に殴りこみ
をかけた64年位からブライアン・ウィルソンに変化が現われます。
それは側から見ても、大丈夫か?と思われるほどのライバル心
剥き出しの姿でした。それはビートルズの革新的な作品を
耳にする度に、エスカレートして行ったそうです。
そんな最中、精神を病みリタイアし、他のメンバーが日本をツアー
している時に作り上げたのが「ペット・サウンズ」です。
結果は前にも書きましたが、彼らの作品の中では最も当時は
売れなかった作品となりました。(慌てたレコード会社が
勝手にベスト盤を発売してしまった事でセールスがバラついた
のも原因です)
メンバーの1人から「こんな音楽誰が聞くんだ?犬か?」
と悪態を尽いた事が「ペット・サウンズ」のタイトルの由来
なのですから不幸な作品ですよね(笑)
色々な意味で気落ちしていたブライアンに協力者が現われます。
映画音楽やバーズとの仕事で才能を表しつつあった
ヴァン・ダイク・パークスです。
「ペット・サウンズ」での歌詞を書いたのはヴァン・ダイクの
友人であったト二ー・アッシャーでその仕事があまり世間的に
評価されていないのを気にして、最初は一緒に作業をするのを
拒んだそうですが、ブライアンの熱意に押された形で
引き受けます。
それが全米、全英共にナンバー1を記録した「グッド・ヴァイブレーション」です。
その成功で自信を取り戻したブライアンは次のアルバムに取り掛かります。
そのコンセプトは「神に捧げるティーン・エイジ・シンフォニー」
「アメリカ史への壮大なるトリップとユーモア」と当時のスリーヴには書かれています(棲。。笑)
そのタイトルは「スマイル」。歴史に残る傑作となるはずでした。。。
しかし実体はドラッグにより、イマジネーションを広げ
物凄い素材群を纏めきれずに時間ばかりが過ぎていき、
結局、レコード会社からはタイムアップを宣告され、無残に
パッチ・ワークされた「スマイリー・スマイル」として
発売される事となります。
(それは決して曲が悪いわけではありません。作りが甘いという事です)
その後、ビートルズが傑作「サージェント・ペパーズ・ロンリー
ハーツ・クラブ・バンド」を発表。それを聞いたブライアンは
あまりのショックにベッドルームから出てこなくなる程の
事態となってしまいます。そのビートルズの作品は実は
「ペット・サウンズ」を聞かなければ
生まれていなかったと、ポールは後に発言しています。
何たる皮肉。。
ブライアンはその後、88年にソロアルバムを発表するまでは
「才気」の部分を封印します。
アルバムには参加するもツアーには一切現われず、
表舞台からは消えてしまいます。
ドラッグ癖からも抜けきれず、朦朧とした日々を送りつづけます。
ユージン・ランディという専門医がつき彼の支配の元で少しづつ
自分を取り戻して行きます。その結果上記のアルバムを
発表するに至るわけです。(ユージンはその後、治療費の
トラブルで解雇されます)
先の「ペット・サウンズ」を全曲演奏するという夢のような
ツアーが開始されたのは99年頃だったと思います。
その時のツアーからLAのバンド
「ワンダーミンツ」を中心としたメンバーが務めます。
彼らは自他ともに認める「ビーチ・ボーイズ・マニア」で
自身のアルバムでもビーチ・ボーイズの素晴らしいカヴァー
を披露しています。本当にそっくりです。
こういう人達がバックを務めてくれるのですから、当時とは
ブライアンの気持ちにも雲泥の差があります。
実際に僕もこのツアーを見ましたが、「まさかこれほどまでに
復活しているとは。。」と感激したのを覚えています。
その後も順調にツアーを続け、あるパーティー会場で
ブライアンはピアノを弾いていました。そこに1人の女性から「「スマイル」の曲を聞きたい!」と唐突に
リクエストされます。それを聞いていた周りは皆、凍りついたそうです(笑)
皆事情を把握しているので、その話しは周辺では「ご法度」
だったわけです(笑)
ところがブライアンは少し思い出す仕草をすると、いともあっさり
ピアノを弾き始めたそうです(笑)今度はバンド連中が
嬉々として聞いていたという話があります(笑)
それからはトントン拍子に「スマイル・ツアー」の話しに
繋がっていったと言います。ただ、メンバーは
レコーディングには消極的だったらしく、(それはそうですよね笑)
それもブライアンの熱意により、決着。
37年の時を経て、伝説の「スマイル」がブライアン名義で
正式にリリースされます。
そりゃ、ビーチボーイズの「マジック」はありませんし、
ブライアンも当時のキーでは歌えません。
しかしそれを差し引いてもこれは傑作と断言できます。
その後、日本でも「スマイル・ツアー」は行なわれました。
このアルバムを再現するには、ステージの小道具におもちゃやテルミンも必要ですが、みんなで楽器ととっかえひっかえ弾いている姿が
微笑ましかったですよ(笑)
60代のティーン・エイジ・シンフォニー(笑)
スマイルの1曲目でもある「英雄と悪漢」です。
https://jp.youtube.com/watch?v=F7z8NRUFyN0
このデジログへのコメント
多分、本人も先の事は何も考えていなかったと思います(笑)
やはりかなりトラウマになっていたようで、この話題に触れる事は
身内でもなかったそうですよ。傑作ですので是非聞いてみてください。
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