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- 再登録しました。、 年齢は詐称しています。50前です。 日記で絡まりあうのが好きです...
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BPD的な彼女21 僕自身のこと
2015年07月16日 14:49
さて、今回は僕の生い立ちについて書きたいと思います。
僕は、両親に死に別れ幼い妹と親戚に預けられて育った父親と、厳格な父親が病死し、中学卒業と同時に働かざるを得なかった母親のもとに生まれました。一人っ子です。
父も母も子供をどう育てるべきなのか知らなかったのかもしれません。
自身が十分な愛情のもとに育ったわけではないので、、、。
母は教育熱心でした。幼稚園の頃、小さな机に向かって、勉強させられている姿を思い出します。
母は学校に行けなかったことに、強いコンプレックスを持っていました。
そのため、自分の果たさなかった夢を僕に託したのだと思います。
僕の成績は良かったと思います。しかし、学校からテストの結果を返してもらって、それを母に見せるのは恐怖でした。
小学校の頃、テストの点数の悪いときには、家に入れずに、なんども家の前を往復した記憶があります。
小学生低学年の時にストレスから、自家中毒にかかって、2ヶ月ほど学校を休みました。
学校に行こうとすると、腹痛や嘔吐が出ました。
この時、母親は当時の医師から「過保護に育てた」と言われたようです。
今から考えれば、過保護でなく、過干渉であり、正しく愛情を育ててくれなかったのでしょう。
僕は小学校のころから、心の中で「作られた自分」を意識してきました。
本当の自分は出してはいけないもの、母の意に沿うよう行動しなければならない。
一方、父は教育は母親任せで、教育に関しては一言も言いませんでした。
僕はACだと思います。
ACについては、診断名でない、自己認知の問題と書いてありますが、よくわかりません。
腰痛と椎間板ヘルニア、腰椎捻挫のようなものでしょうか?
分類によれば、「ケア・テイカー」でしょうか。
母親からのプレッシャーを避けるため、何度か父にSOSを出した記憶がありますが、父は受け止めてくれませんでした。
このウラログへのコメント
形は違うけど、美奈も母親がダメで父親にSOSを出しました。今も父親だけが家族と思います。
> ☆mina☆さん
そうなんや。
お父さん、受け止めてくれて良かったね。
うちは、ダメでした。(^_^;)
はっとしました。私の両親も親の愛情よくわからないの。
そして私も一人っ子。
> ナオさん
そうなんですか。
ナオさんも何処かで生き辛さを感じているかも。
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