- 名前
- satomin
- 性別
- ♀
- 年齢
- 44歳
- 住所
- 京都
- 自己紹介
- 恥ずかしいことが嬉しい
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父親(?)の日記から・・・(2)
2013年04月28日 07:02
明け方、目がさめちゃってお布団の中でオナニーしていました。でも、お布団でのオナニーいつもいけないんです。それで、デジログに来てしまいました。
今、沢山の人からメールを貰うようになりました。返信が間に合わなくって・・・。メールしたのに返信しないなんて傲慢な女だ・・・って思わないでね、ごめんなさい。
頂いたメールは全部読んでいます。そして順番に返信しています。
父親(?)の日記・・・先日、一番新しい日付の日記を書きました。きょうは、一番古い日付の日記、字数に余裕があれば2日目の日記も書きたいと思います。
これで、なんとなく自分の母親の本当の姿が分かったような気がしました。一番古い日付は今から35年くらい前の日付でした。35年間も、父親(?)は母との関係のことを50冊以上の大学ノートに書き留めていたんです。これは凄いことだと思いました。
昭和52年11月10日
ヤスコと出会って半年過ぎた。きょうからヤスコとのことを日記を書いていくことを決意した。
私はいま○○小学校のPTA会長をしている。息子が○○小学校5年生だ。
ヤスコは2年生の担任なので教師の側のPTAの係を勤めることになったようだ。 教師のPTA係はPTA役員の子供の担任とは重ならないようにする学校側の配慮だ。
今年の5月に私がPTA会長に選ばれて小学校へ行った。教師やPTA役員の第1回会議があって自己紹介のときにはじめてヤスコを見た。 可愛い人だと思った。こんな顔立ちで小学校の教師をしているのは勿体ないというものだ。
師範学校(と書かれていました わたしの注釈です)を出て教員になり、ある小学校へ3年ほど勤務して今年の春、この小学校へ赴任してきたという。
可愛い顔立ちで文学少女が、そのまま大きくなったような世間の荒波を知らないお嬢様育ちのように思えた。
私のイタズラ心にムラムラとした小さな炎が点火した。その小さな炎が大火事になるのに時間はかからない。
1学期の終わりに行われるPTA総会の資料づくりが始まった。 他の役員は、みな主婦すなわち女性ばかりだ。男性はPTAの委員会には来ない。男性でいくのは私だけである。ほとんどの男性が会社勤めなのでPTA委員会などには来ない。
私は企業経営と市会議員をしているので、むしろこういった委員会には出た方が良いだろう。
6月の梅雨のころだった。資料作りで遅くなった。遅いとは言っても7時ころだ。私はヤスコを夕食に誘ってみた。
「お腹空きましたね。夕食一緒にたべにいきませんか?」
すると存外あっさりと「はい、お腹空きましたね、よろしいのですか」との返事だった。
私はヤスコを私のクルマに乗せてると町はずれの方のレストランへ行った。この時点では、誰に見られてもやましいことはない・・と思ったが、なぜか町はずれのレストランを選んだ。ここは最近できたお洒落な感じの店だったからでもある。
途中の公衆電話から家へは、夕食はPTA委員の人と済ませていく、と連絡した。
食事の最中に、ヤスコからいろいろと身上話しを聞く事ができた。生まれ年のこと、実家のある町のこと、両親のこと、兄弟のことなど・・、おつき合いしている男性はいないとのことだった。
支払いを済ませてクルマへ戻るとき、ヤスコが「ありがとうございました、ごちそうさまでした」と言ったとき、私はヤスコの腕を力強くつかみ、引き寄せて抱きしめて口を奪った。
ヤスコは最初は驚いて引きはがそうと力をいれたが、すぐに私の体にもたれかかってきた。
しばらく口づけをして、むしろ私の方からヤスコを引き外した。
「先生は可愛い人だ、わたしは先生の事が好きで好きで堪らなくなってしまったんです、妻子もいるし15歳も年が違っているのに・・・すみません。先生・・・先生は処女ではないんでしょう?」
そのときは、その質問に答えはなく、ただヤスコはうつむいて駐車場の地面を見ていた。
私は、ヤスコをクルマに押し込むと、もう一度言った。「先生、先生のことが大好きです、私と一度でいいから、男女の関係をしてください、お願いです、先生のことが好きなんです」
ヤスコは何も答えず、ただ困惑した表情のまま固まっていた。
私はクルマを走らせて、町の反対側のモーテル(と書いてありました 注釈)へ行った。
そこで、もう一度私は言った。「先生、ここで私と一度だけ男女の関係をお願いします、いいですよね」
やはり返事はなかったが、私はヤスコの腕を引いて部屋までいった。とくに抗う様子はなかった。
部屋に入るなり、私はもう一度、ヤスコ強く抱きしめて接吻をした。
白いブラウスのボタンを外し、ブラウスを脱がせた。スカートのチャックもおろしてスカートを脱がせた
シミーズ姿のヤスコのなんとも可愛く色っぽかったことか。
そのシミーズも脱がせ、乳バンドも外した。ちょうどお椀くらいの乳房に桃色の愛らしい乳輪と乳首があった。
最後にズロースを下げた。ズロースを脱がせるとき、ヤスコは私の両肩にその両手を添えて、私がズロースを脱がせるのに合わせて片足づつ上げた。
ほどよい濃さの陰毛があらわになって、その茂みの中に女陰のはじまりとなる割れ目が覗いていた。
素っ裸になったヤスコの両腕を外からそっと抱き寄せて、私はもう一度聞いてみた「処女じゃないんだろう?」
するとヤスコは「はい、処女ではありません、男女の関係の経験あります」と答えた。
私は、「はい」という返事でも「いいえ」という返事でも、どちらの答えであっても、そのとき驚きの気持ちになっただろうと思える。
私は、このヤスコの処女を奪った見知らぬ男性に嫉妬した。しかし、なぜか少しほっと安心した気持ちにもなったのである。
私は、自分の服も脱ぎ、ベッドでヤスコと交わった。ヤスコは私の背中に腕を回して、私の腰の動きに合わせて、喘ぎはじめ、か細い嬌声も発した。
私は登り詰めヤスコの膣に、いつもよりも多い精液を出した。ヤスコも私の体を力強く抱きしめると、少し浮いた腰がビクンッビクンッと痙攣して果てたようである。
私はヤスコに「どうもありがとう、すごく良かった」と言ったが、ヤスコはまた何も言わなかった。
モーテルを後にして、ヤスコのアパートまで送っていった。アパートの前でヤスコをおろすと、ヤスコは深々とお辞儀をして、「きょうはいろいろとご厄介になりまして本当にありがとうございました。教師としても人間としてもいろいろ未熟者でごさいますので、こらからもいろいろとよろしくお願いいたします」とお礼の言葉を言ったのだった。
私は、とっさにその意味が分からなかった。いや、半年たった今でも、その意味は分からないかも知れない。
ヤスコのアパートからクルマを走らせると、バックミラーにヤスコの姿が映っていた。もうアパートの部屋に入っていっても良さそうなのに、降りた場所で、私のクルマを見送っているのだ。
バックミラーに映るヤスコの姿を見ていると、もう一度戻ってヤスコを抱きしめたい気持ちになったのだった。
以上・・・日記の1日目です。 2日目のことは字数制限もあるので、そして、私の出生の事などはまた今度にします。
このウラログへのコメント
大きくそして少しづつ動き始めた運命の時計
お母さんの心の中を覗き見る方法はないのだらうか
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